『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

いざ! 神在祭に(そのヨン~十九社~ある意味、出待ちか…^^;)

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 通常の出雲大社の境内と神在祭の時期の境内の見かけの違いは、この前の記事の龍蛇神のテントのほかにもあります。神々のホテルともいうべき、拝殿の左右にある「十九社(じゅうくしゃ)」の扉が開けられ、ちゃんとお供えもされて、白い幕がかけられているということです。そして、そこを素通りする人はいない…ということ。皆さん、もしかしたら仮拝殿より熱心にお参りしてらっしゃるんじゃないか…と思うくらい(普段は、5円玉くらいを放り込んで、さっと手を合わせていかれる方がほとんど。手さえあわせずに行かれる方もあります)。

いつもは空っぽの十九社に八百万の神々が泊まっていらしているわけですから、一神より八百万(いまさらながらにお分かりだろうと思うことを語りますが、これは「やおよろず」。た~くさんのという意味です)の神々がありがたい…と思うのは当たり前といえば当たり前ですかね。まして、縁結びのサミットが開かれているとなれば、なおさら…ですよね…^^;。

いつもの出雲大社の雰囲気とは違っていたと、この前の記事では書きました。気がいっぱいと感じた、と…。それは言い換えれば(おかしな言い方ですが)、「気持ちはいいんだけど、風通しが悪い感じがした」ということ。いつもの出雲大社は、私にとっては気持ちのいい微風の吹いている所という感じなんですね。それがないと感じていたんです。

ところが、拝殿に向かって右手にある十九社では、それを感じました。「ああ。これこれ…」という感じ。これがあって、お参りした~という感じになるんです。というか、それなりに伝えられたかな…と思える。反対側の十九社ではそれを感じなかったんですけどね…。

この日は、11月の半ば近くだというのに、10時近くから急に暑くなった日でした。遠くからこられた方で、服装を替えることができなかったのでしょうか。セーターやコートなどを着込んでいらっしゃる方も(すんごい人はダウンの方も)いらしたんですけど、半そでTシャツの若い男性もいたりする、不思議な光景の日だったんですよね。私がその十九社にお参りさせていただいていたときにも、「風がないね~」というコートの方の声がしていましたけど、実際、写真を見ると、ありますよね、風…。これがあったんで、実は、私ちょっと満足したんです…^^v。

 さて、稲佐の浜で取ってきた砂の話が出てこないな~と思ったりしてません? 実はそれね、本来なら、この十九社からさらに奥に進んだ、拝殿の裏側にあたるところにある、スサノウさんのお社に持っていくんです。この辺りは、人によっては、この出雲大社でいちばんパワーを感じるところだという方がいるところ(私は、そういうのはわかりません。ただ、奥に行くほど気持ちがすがすがしくなるだけ)なのですが、取ってきた砂をそこにお供えして、「そこで1年間清められた砂」と交換していただいてくるんです。

その「お清め砂」は、家の敷地の四方に(四方に撒けない場合はベランダにでも)撒けば家の災厄よけとなり、少量を持ち歩けば、お守りになるという代物なんですよ。でも、このこと、実は余り知られていません。私も今回はじめて知ったことなので、是非やってみたかったんです。

ただし、何度か書きましたが、今は式年遷宮の工事中。参拝客は今その辺りに立ち入ることができないので、そこにお参りするのと同等になるところとして、「遥拝所」が設けられています。そして、そこにはそう。その砂をお供えするところと、スサノウさんのところから持ってこられた砂を頂くところも作ってあるんです。それもごくあっさりと…。こういうのは、さりげな~く頂いてくるものなのかもしれませんね。

このときになって、ふっと思い出したことがありました。タクシーの運転手さんのことです。稲佐の浜でこそ語られましたが、特に砂を取ってきたかと聞かれてから着くまでは、まったくの無言でした。実は、拝殿でお参りするまでは私語を慎んだ方がいいと言われる大社参り。それが頭にあったからじゃないか、と気がついたんです。そうしてみると、あの運転手さん、けっこう信心深い方だったのかもしれませんね。