『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

改めてましてのご挨拶

 お久しぶりです。長い留守をしました。4月のうちに再びここで書き始めようとと思っていたんですが、最初の言葉を綴る元気がわかなかった。ごめんさなさい。そんなこんなで、このブログにアップするつもりで綴りながら、もう一つのブログに間違ってアップしてしまった記事をこちらにもアップすることにしました。昨年末にアップしたものです。それほどに間をあけてしまいました。そちらでは、短い記事をアップしているんですけどね。
。それでは、その記事を少し編集してアップします。




 いきなりですが、ご報告があります。

 実は10月の終わりに、母が亡くなりました。夏に脳梗塞で入院。その時は、症状で言えば中程度。障害がどの程度残るかには個人差があり、はっきりとは言えないが改善は見られるだろうと、その時はそういうお話でした(そこに至るまでに色々あったのですが)。

 8年ほど前に(後でメモを見たら、実際には9年前でした)、動脈硬化で倒れた時よりも心身の状態は良いはずなのに、とにかくなぜか胸に残るモヤモヤ。コロナ騒ぎの再発で、なかなか面会をすることができないなかで、「今はベッドから起きて、足を動かすトレーニングをしてもらっています。来週から食事のトレーニングを始めます」と言われていたのが、まさか次に行ったときに、普通に動いていた手足まで動かなくなり、表情までなっているとは思いもしなかった。

 それから、いくつかの悪条件が重なっていき、最終的には、動脈硬化で痛めた心臓が足を引っ張ったということで最期を迎えることなりました。不安と戦いながら、帰ってきてくれることだけを願っていろんな準備をしつつあったので、母の死に、いつもならできることさえ出来なくなったり、さっき聞いたことさえも忘れる。それ以前に、心身の過度の疲労から視力にまで落ちてしまっていたわたしは、しばらくの間ひどい状態でした。

 最初のうちは、母の使っていた物を見るだけで胸が押しつぶされるようになって動けなくなったり、母の入院中からだけど、まともに眠れない日々が続いて、ここまで母という存在に支えられていたのかと思い知った日々でした。周りに助けてもらいながら、対外的にはそつなくこなし(ているように見せかけていたけど、たぶん変に見えていたでしょうね)、少しずつ、ほんとに少しずつ回復しながら、四十九日を迎えたんです。


 話は少しかわりますが、十数年前に父が亡くなった時、四十九日頃にわたしのスマホに公衆電話からの電話があったんですね。普段相手のわからない電話には出ないわたしですが、その瞬間父だと感じ、すぐに電話に出ました。父は、携帯電話を持ちたがらなかったので、病院の公衆電話から、よく電話をかけてきていたからなんです。

 何度呼びかけても、返事はありませんでした。亡くなった方からの電話というのは珍しいことではなく、テレビの「砂嵐」のような音がすると聞いたことがありますが、わたしには大きな川の流れのような音が聞こえていました(砂嵐の音とは違いました)。だからその時は、もしかしたらこれは「三途の川」とかいうのの流れの音かしらなどと思い、その川を渡る前に「これからあっちに行くよ」とか、さよならの挨拶伝えたかったのかなと思ったものでした。

 そんなことがあったものだから、母の告別式のあと、多少は元気になってきたわたしは、心密かに母も何かのアクションを起こしてくれるのではないかと思うようになっていたんです。ところが、四十九日前にアクションを起こしてくれたのは、母ではなく、母ののお友達でした。

 母が何でも話せる唯一の人だったと言ってくださるその方は、最近ご主人を亡くされ、ご自分も体調を壊されたりもしていたので、「お母さんは、わたしと違って、心筋梗塞の手術はされていてもお元気だったから、ここに来ればいつでも出迎えてくれるものと思い込んでいた」と涙されました。そして、わたしに伝えてくださったことはー。


 「お母さんね、あなたがここまで一緒にいてくれたこと、ホントに感謝してたのよ。ありがとね。でもね、もう十分。『あなたには、あなただからできることがある。だから、周りを気にせずに生きさせてやりたい』って言ってたの。だから、これからは自分のことだけ考えて生きなさいね。それがお母さんの一番の願いだったんだから」。びっくりしました。母がそんな想いでいたこと。そして、そう話していたということに。あんまりそういうことは言わないひとだから。それっでもわたしは、母は何も話せない「三途の川電話」の代わりに、伝言を託してくれたのだと思うことにしたんです。


 お母さん。お母さんも、わたしの行方への想いを、を逡巡してたんだね。でもね、わたしは自分の想いを抑えてばかりいたわけじゃないよ。わたしも感謝してる。お母さんがいなくなってから、何度も何度もありがとうを言ってるの、知ってるでしょ。

 でも、そうだね。もう前に進む。自分の事だけ考える。これまで出来なかったことからやってみることにするよ(と言いつつも、未だに結構振り回されているんだけど)。

 それにしても、お母さん。聞いたよ。「わたしの宝物だから」なんて言ったらしいね。あんなポーカーフェイスでねぇ。よく云うわ😭




  ここまでいけたら、次はそう間を開けずに書き出せるかな。

小さな癒し




前回、神様トンボ(ハグロトンボ)が今年もやってきたというお話をしました。

ところが、今年はいつもとちょっと違うんです。

はじめてみた日から毎日やって来る…だけじゃなく、よく見たらツ…ガ…イで来てるんです。

ツガイ(?)で来たのは初めてのこと。ついでに何故か、黄色の蝶々も一緒にね。

それも、裏庭に水をやると、そばにやってくるんだけど、その姿の楽しそうなことといったら…。

さらに、そのうちの一匹は、水やりを終えて勝手口に戻ろうとする私の足元に、ビョンビョンって感じで勝手口までついてくるんです。

何か、この前までの子は、高貴な感じ(クールな感じ)がしたんだけど、今年の子たちはほんとに愛らしい。

うちでちょっとしたアクシデントがあった今年(継続中)。君たちに癒やされるよ。ありがとね。

おかえり! 神様トンボ

おととしの姿


 父が亡くなってから、お盆近くになるとほぼ毎年のように裏庭にやってきてくれるようになっていた、「ハグロトンボ」。

 現れる時期から、亡くなった家族や祖先の化身とか、その黒い凛とした姿から、「神様トンボ」とも言われます。

 去年はまったく姿を見せず、「しあわせの予兆」とも言われるこのトンボに、とうとう愛想をつかされたかと思っていたんです。

 それが、今年は昨日の大雨の後に、ひと月ぐらい早くやってきてくれました。初めてプランターに植えてみたミニきゅうりの、雨に濡れた葉の上にちょこんと止まっていたんです。


 なんかすごく嬉しくて、「ねぇねぇ。指に止まってみない?」と話しかけ、手を差し出して誘ったのだけれど、相手は高貴な(?)神様トンボ。そんな誘いにはのってはくれません。


 それでもいいよ。今年も君に逢えたから。
 ゆっくりしていってね。


 
 お暇があれば、そして良ければ、「神様トンボ」、検索してみてください。ふんわり柔らかな気分になれるかも。

悪いことばかりじゃない


 この前の大雨のあと、ここ数年来見たことのないくらいの、きれいな青い月が何日か見られました。

 その月に見とれていると、これまた久しぶりに味わう、爽やかで優しい風が吹いてきたんです。

 ああ、こんな月がずっと見たかったんだ。こんな風に出会いたかったんだって、ちょっとため息ついてみたりして。

 いろんなことがあるけれど、だからこそ、しみることがある。大切に思うことこともある。

 おやすみなさい。いい夢を。

とにかく一休み




 Yahooから引っ越しして以来、いろんなアクシデントもあってまだちゃんとは整理出来ていないこのブログ(いまだに?)。

 「よしっ! ボチボチ本気で整理を始めるぞ」と拳に力を入れたら、いろんなやり方を忘れてる。


………すでに老化か?


 その上に、パソコンって、何で買うたびにややこしくなっていくんだろう。いらないものもいっぱいあるし。

 必要なものは後で入れるから、必要最低限でいいのにね。


……なんて、最初のお湯でお団子のようにまあるくなったコーヒーの粉を見ながら思う。

 それにしても、なんというつまんない画像…ಠಿ⁠_⁠ಠಿ

空っぽの記事を投稿しちゃった(-_-;)

先ほど削除しましたが、昨夜新しいスマホの設定中に、中途半端なところでわけもわからず触ってしまい、なんにも書いてない記事をアップした…げなことになってしまいました。

何せ、中途半端なとこなので、削除もできず今朝まで放ったらかしに。

お詫びして訂正いたします。






これで普通に投稿できるのかな…。

今年の目標〜奈良と岐阜〜



去年から妙に行きたくなりながら、行けずにいる奈良。ちょっとずつおべんきょはしているんだけど、YouTubeでひとり旅(女ひとり旅)なんか見てると、行きたい名所とかだけじゃなく、行きたいお店(食事&カフェなど)なんかもちゃんとリストアップしてらっしゃって、行動に迷いがないんですね。

いつか、ガイドブックがお店紹介本のようになってると愚痴ったけれど、そういうことからも、今はそれもありかなと思ったりしてます。何せ知らない土地ですもん。

その奈良とともに今年行きたい場所。それは岐阜。

母のいちばん上の姉(三姉妹です)であり、早めに亡くなった母方の祖母の代わりに、わたしの若めの祖母のような存在だった、叔母の終いの棲みかとなった場所です。まっ、正確には多治見なんですけどね。

叔父が亡くなったあと、ずっと達者で一人暮らしをしていた叔母は、かなり高齢になってから体を壊し、長男が家を建てた多治見に身を寄せました。そして、最期は多治見の老人施設で生涯を閉じたんです。

もう会えない分、お墓参りのついでに(こちらのは墓仕舞いして、あちらに移しているので)、その土地を見てこようと思っています。

母と叔母を訪ねようと計画を始めたのは、かのウイルスの騒動の前のこと。ところが、会うどころか、行くのも難しくなり、とうとう会えずにしまいました。

秋には会いに行こうと決めた頃に買った↑の左の本。それに加え、地形や歴史を含め、ちょっと違った視点のガイドブックを先日買いました。

岐阜県って、多治見・土岐の美濃焼き、関の刃物、美濃の和紙、高山というか、飛騨の家具とか、物を作るところが多いとこなんですかね。

知り合いに、飛騨の家具職人さんの技(魂)をいつか見てこいと言われていたし(見せてもらっても、わたしには見えないよ!)、そのあたりにも興味があります。

今年は行きたい行きたいで終わらないよう、必ず行きたい…いや。行きます!(言いきっとこっと♪)