『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

来年も猫年?

f:id:hikari2038:20211214213056j:plain




少し前にも書いたけど、去年今年の騒動の中でのいちばんのわたしの変化は、まったくと言っていいほど地上波のテレビ番組を見なくなって、テレビ画面でYouTubeをよく見るようになったこと。

いちばん影響を受けてるのは猫動画。彼らの行動やおかれた環境のことなどを知り、お世話をされる方たちの考え方を知るうちに、野良君たちの健気な姿が、とてもいとおしくなっていったんです。

野良君は、たとえ「元」でも、家生まれ家育ちの子とは纏う空気がちがいますよね。ひどい寒さも暑さもなかなか得られない食べ物も、縄張りを争う喧嘩の緊張さえも、克服しなくてよくなったあとでさえも(目付きや態度は明らかに柔らかに変わるようだけど)。

必死に1人で生きてきたってのは、ちゃんとわかるもんなんだね…と思いつつ、自分はどうかとしばし自己反省\(_ _)

それにしても、20年近く生きることも珍しくなくなったと言われる家猫君たち。対して、よく生きて5年とも言われる野良君たち。その時間の差は歴然。何も被害がなくても、野良君たちを忌み嫌う人もいるしね。みんな同じように生きてるだけなのに。

他にも思うことはありつつも、現れなくなったご贔屓猫に想いを馳せ(けんたろさ〜ん( ノД`)…)、急にできた飼い主に、戸惑いながらも甘えるようになった他の元野良君の姿に癒されながら、今日もまた夜が過ぎていくのでした。

冬の花

f:id:hikari2038:20211207224523j:plain




今年はえらく寒くなるのが早い気が気がします。そのせいか、体調不良というより、やたらに眠くて困ってます。そういうときは、寝た方がいいというんだけど、やっぱりちゃんと夜中に寝るほうがいいんだろうな。

そんな風でも、ちょっと歩いてみると、山茶花(さざんか)など冬の花が咲き始めてるのがわかります。何なんだろうね。自然の中で咲く花たちが、こんなにもいとおしいのは。

そんな想いのまま、今日は早く寝ることにします。おやすみなさい。いい夢をー。




※画像は、出先で見た柊(ひいらぎ)の花。こんな花が咲くんだね。初めて見ました。

三礼三拍手一礼

f:id:hikari2038:20211130180737j:plain





  今日偶然、Youtubeで京都の貴船神社からのライブ配信を見ました。その方がお参りされているちょうどその時に、宮司さん(という呼び方でいいのかな)の祝詞が急に始まり(その時を狙ってではないらしいのですが)、現地にいっても出合えるかどうかわからない「その瞬間」に立ちあうことができてちょっとうれしい気がしました。

 ただ、その時に思ったことがありました。…というか、少し前に聞いたことを思い出して、ハッとしたんです。それは、「三礼三拍手一礼」。その配信者さんが、その三礼三拍手一礼でお参りされていたんですよね。

 私たちは、一部の神社は別として、主に二礼二拍手一礼でお参りしますよね。それが当たり前のことだと、私たちの祖先からずっとそうやってきたのだと。そう思っていた。

 ところが、どうもそうではないらしいんです。実は、当たり前のように言われている二礼二拍手一礼となったのは、明治以降のことで(それも政府の方針で)、それまでは三礼三拍手一礼だったというんですね。これが、日本古来の参拝方法だったそうな。

 ちょっと検索してみると、三礼三拝というのは、造化三神と呼ばれる、アメノミナカヌシと、タカムスビノカミ、カミムスビノカミの三柱の神へのものだと書かれています。なるほど。だったら、二礼の場合は???

  
 三神についてちょっとだけ調べてみたもののなかに、こんなことが書いてありました。

『三拍手で神界を開く。二拍手では閉じる』。

だとしたら、これまでは神界への扉を閉じてお参りしていたということ? 何で?
 

 

1日2回? 1日3回?

f:id:hikari2038:20211122173021j:plain




あれこれおいしいものがあるこの頃ですが、「人は1日3回食事をする必要はない。たとえば江戸時代までは1日2回だったんだから」。こんな話を聞いたことがありませんか?

それを聞いて単純に、そういうものですかと思ってしまっていたのですが、最近この話とは違う話を読んだんです。

江戸時代すべてが1日に2回の食事だったというのは間違い。2回だった時期はあるが、それは人々が日の出と共に起き出して、日が暮れると寝ていたから。

日の出とともに起きて、ご飯を作って食べ、午後は午後3〜4時に食事して、日没とともに寝るという生活をしていたのが、時が進んで、菜種油の精製が進み、行灯が普及するようになると、日の入りの後も、薄暗い明かりのもとでの、本を読んだり、夜なべをしたりとかいう、夜の生活が加わるようになり、1日3回の食事になっていくようになる。

つまり、活動時間が長くなるわけで、当然お腹もすくから、段々3回の食事に変わっていったんだというんですね。

ありえるな。そう思いました。考えてみれば、わたしを含め、後生の人が、今の便利な生活や自分の得た知識だけで、昔はこうだと決めつけて、それがよしとするのは無理がある。

たとえ高名な先生の説でも、有名なインフルエンサーでも、 誰かの昔はこうだった説は、それもあるか…くらいでちょうどいいのかもしれない。そう思った出来事でした。




※画像は未だに帰らない(?)、わたしのYouTubeのアイドル、健太郎。逢いたいな。

秋の陽は…

f:id:hikari2038:20211115220950j:plain





しばらく記事が書けませんでした。母の定例の受診のあと、体調不良になったりしていたんだけど、そのあと、肩をいためてから見ないふりしてほとんどほったらかしだった、家の回りを少しずつ片付け続け、ようやく一段落した感じです。

肩や腕の怪我の不調が落ち着いた今、ちょうど地域の粗大ゴミの収集があったのでそれにあわせてのことだったんですが、お天気があまり良くなかった上に、とにかく陽が短くなってきてるから、あいた時間に外で出来ることはこれからもっと少なくなっていきますよね。だったら、今のうちに何とかしないとってね。

その上に、このところの寒さで出したファンヒーターの暖かさよ。夜は体が疲れてる分、眠い眠い…。

後は家の中の、年末に向けての片付けをおいおいしていくつもりです。こっちは急がなくていい(^o^)

あ〜。すっきりした。今度は、陽が落ちないうちに新しく買った七輪で魚でも焼いてみようかな。

人は去り、人は来る

f:id:hikari2038:20211004175225j:plain
tukeruhododemonaiakinofuukei



 亡くなった父の古いお友達の奥様から、お手紙をいただきました。父が亡くなって10年10年以上がたち、「学生時代のお父さんはこんだだったんだよ」なんてメールを下さっていたご主人も亡くなってからは、内容は省きますが、奥様から頼まれごとをするようになったからです。

 お手紙を頂くので、こちらもお手紙をお返しすることになります。それも毎回違うきれいな切手でいただくので、最近いくつか買った便せんと封筒からこれかな~と思うのを選び、さらに、いつもあるのとは違う切手を選び、言葉を選びながら文を書く。

 電子機器になれてしまっている身には、いささかややこしいし、面倒くさい気もするんだけど、やってみると、とても穏やかでちょっとときめくような楽しさを感じたりもして…。手紙を書くって、いいですよ。改めて思ったな。

 
 その手紙を出しいに行ったついでに(電子機器だと、この「出しに行って」がないですよね)、ちょっと回り道をして帰ろうと思い立ちました。この頃体調が悪くて全然歩いていないどころか、一昨年に肩を痛めてからは、あまり遠くまで歩かないなかったので、ちょっと試運転って感じです。

 とんでもなく久しぶりに遠回りしてみて驚いたのは、いつも遠回りしていたところの沿道にあった結構広い古いお宅が、更地になっていて、その空間にすすきが生い茂っていたことです。

 誰もいらっしゃらないだろうことは通り過ぎる時に何となく感じていました。でも、道沿いに塀があったのでその中の様子まではしらなかったんですよね。がら~んとした空間。風になびくすすきの姿はなんか淋しかったなぁ。上のがそこで「の写真です。家屋がなくなっていたので、それまでは見えなかった遠い山が見えるようにになっていました。周りの家をよけて、下からお尾るようにしてアップで撮るとこんな感じに(道沿いで何をやってんÐか…)。

 人はいつか去る。でもまた、人は来る。そう思いたい夕方でした。

 

やさしい風景

f:id:hikari2038:20210930164055j:plain
nusikaranoyasasisa


 母の通院につき添っていった日から不調で、数日あまり動けずにいました。少し良くなって、居間のソファにゴロゴロしながらYoutubeを見ていたときのことです。

 特に何を見たいということもなかったので自動再生していたら、どういうわけか近畿地方の限界集落の風景をただ淡々と流す番組と出逢ったんです。で、それが続くの。

多分それまで見ていたものの傾向などに関連したものが流れてくるんだと思うんだけど、特に限界集落マニアでもないし、そういうのを見たこともないんだけどなぁなんて思って見ていたんです。ところが、見始めたら何だか思うことが多々あって…。


 そもそも限界集落っていうのは、山深いところが多いのでしょうかね。私の見たのでは、人の姿が見えなくなった家々ばかりじゃなく、あまり手が入らないままの美しい山々や川の風景がたくさん出てきてました。その風景の美しいこと!


 家もね。番組をつくられている方の方針でそういう家屋を中心に撮ってらっしゃったのかもしれないけど、廃墟のようになっている家はあまりなくて、古いのは古いんだけど、しっかりしてそうな立派な家屋が多くて、少し修理をすれば十分快適に住めそうだなぁと思えたんですね。

もったいないなぁ。こんなきれいな風景のところに、まだ住めそうないい家。それを捨てて出て行かれたんだなんて思ってしまったんだけど、雪が多くて、仕事に行きにくかったり、急病でも救急車がなかなか来なかったり、近いところにお買い物ができるところがなくなってしまったりなどと、不便なことはたくさんあったんでしょうね。一人になった高齢の親御さんを子供さんが呼びよせられた…なんてこともあったかもしれない。

田舎とはいえ、駅もバス停も徒歩5分以内に住み、本当の暗闇なんて知らない私には、想像もできないような大変なこと、きっとまだままだありますよね。


 畑や空き家になった家々、廃校になった学校の跡、閉められたお店の跡など見ていると、そこに人々がいて、にぎやかに動いていらした風景が見える気がしました。多分、食料品店などの店内には、「昭和な歌」が流れていて、あーだこーだ話の花が咲いていたんだろうな。そう思うと、ちょっと切なくなってね。


 そんなことを思ううちに、思わぬことに気が付きました。それは、家の周りをきれいに片付け、雨戸をしめて出て行かれたんだなとわかるいくつもの家々の敷地や、そのお宅に至る道の草が、きれいに刈りとられていることです。

 いつか、これもYoutubeで偶然流れてきた、海の向こうの国の、首都のビル群が目の前にあり、そして、住んでらっしゃる方もそれなりにはありそうなのに(現在使われているような車がところどころにあるのでそう思った)、かなりあるらしい空き家の庭どころか、道の両側にまで腰から背丈くらいの草が生い茂っていたのと比べると、まるで別天地です(あっ! あれを見たからこの限界集落が出てきたの?)。

 これは、外に移っていかれた住人さん(あるいは、頼まれた方か)が、ご近所に迷惑をかけないように時々来て草刈りをしてらっしゃるか、近所の方が自発的に刈ってあげられているということでしょう。何か、感動…。

 そんなお宅の軒先に、こんな言葉を彫った丸太の椅子↑が(「どうど」がまたいい(^-^))。


ただ川のせせらぎと蝉の声だけが聞こえる、集落でのことでした。