先週の日曜。「彼ら」のファンのつぶやきは、どこかワクワクしていました。その日に行われる「新しい地図」の3人がスペシャルサポーターになっている、パラリンピックの「’18パラ駅伝」に3人が参加する事になっていたからです。少し前「彼女たち」のつぶやきを見た時に、、その大会の観覧に応募したけどだめだっただの、参加できることになっただのというつぶやきがありましたから、「ああ。今日だったのか」という感じでした。
実は、「72時間ホンネテレビ」について、それがなかったように扱っていた(触れていなかった)地上波のワイドショーが、パラリンピックという存在の大きさからか、この大会について、Fテレビ以外ではどれかのワイドショーで話題にしていたようなんですが、ネットで見たいくつかによると、当初は15000人、その後2000人が追加された観覧の席があっという間に埋まってしまったといいますから、「彼女たち」がどれくらい生の3人を待っていたかわかります(イベントの内容からして、それだけの数の席が一気に埋まったとなると、多分その多くは「彼女たち」だろうなと思えます)。
「彼ら」5人は、ほかのグループが毎年コンサートをさせてもらっていた中で、いちばんの稼ぎ頭だったというのに、2年に1度しかコンサートをさせてもらえなかったグループです。そして、あの騒動の年には、イベントこそ無理矢理させてもらったものの、20周年記念のコンサートをさせてもらっていない彼らが、25周年記念のコンサートをする予定で準備に入っていた(参加するはずだったバックの人がそう証言している)となると、彼女たちは生の3人を4年ぶりに見ることになります。そりゃ、そうなりますよね。
その日の青い空。風の気配。街路樹の木漏れ日。そんな事さえ、後になっても昨日のように思い出せる。そんな日が誰にもあると思います。こんな、ワクワクでドキドキな気持ちも手に取るように…わかるよね?
この日のつぶやきにも、それがありました。今はどこの駅…とか先を急ぐ言葉や、早く会場に着いてみたら、リハーサルをしているのか、3人が「ホンネテレビ」の生放送で歌った「72」を歌ってるのが外まで聞こえてきて、その場を動けなくなってしまった…とか、会場のオーロラビジョンに映し出された末っ子君の満開の笑顔に、「騒動の首謀者のように嘘の報道をされた上に、精神状態がおかしいとか、する気もない引退だの留学だの、ありもしないことを散々かかれてきたのに、よく頑張って乗り越えてくれたと思うと涙がとまらない」とか…、彼女たちの万感の想いが感じられました。
彼ら3人は、末っ子君がパラリンピックのサポートセンターに描いた壁画を模したLEGOの壁画(といっていいのか?)の披露の時から数時間、出場された方たちに寄り添ったり、インタビューしたり、応援したりの時を過ごしたようで、「彼女たち」は、遠くからでもずっと会いたかった3人の様子を見られたようです…(できれば、元々サポーターだった、「彼ら」全員がここにいるのを見たかっただろうとは思いますが)。
その大会の行事が終わったあと、彼らは「72」と、(i-tuneの配信だけだそうだけど)今度発売される「雨あがりのスマ…」いえ、「雨あがりのステップ」という、配信の料金全額(消費税だけは引いて)を財団に寄付するという曲を聞かせてくれたようで、それを聞きながら、そして5人を思いながら泣いた…というつぶやきがいくつもありました。笑顔で気持ちよさそうに歌っている姿は、確かに5人を思わされます(詞も曲も、「彼ら」の曲に携わってきた方たちらしいし)。
『雨あがりのステップ』
私が後でネットで見た中で言えば、今度のイベントのことを伝えたワイドショーの中には、彼らの姿を映すだけで言葉では何も触れないものがあったり(カットせず、ちゃんと姿を放送しただけは進歩?)、昨年の「ホンネテレビ」のことを伝えていない局の中には、「彼らの何年かぶりの新曲」などと、「ホンネテレビ」をなかったことにしているために、嘘になってしまう説明をしている所もあったのだけど、「彼らがこれだけの規模で新曲を披露するのは騒動以来」…と、微妙だけどとりあえず正確を期しているものもあったり、大きさには違いはあるものの、新聞ではほとんど彼らの姿を載せ、3人の活動についても載せていたりと、少しずつだけど状況が変わってきているようにも思えます。
さらに、今平昌のパラリンピックの応援(視察?)に行っている末っ子君が、最近2~3回、暗号めいた絵を描いているんですね。それと思ってみていないと見過ごしてしまいそうなんだけど、絵の中に、「s」・「m」・「a」・「p」という文字がちりばめられているかのような絵なんです。これまでにもこんなことをしたことがあるようで、「彼女たち」の指摘で、「ああ。なるほどね」とは思ったんですが、今それをほんとに意識していれたとなると、今度の新曲のことが公になる前に、それを教えるように、言葉なしでさりげなく自分のレコーディング風景をインスタグラムにアップしてくれていた彼です。これにも何かの意味があるのかもしれません。まっ、ほんとに意味があるのなら、それはそのうちわかるでょうね。
「彼ら」はそれぞれに乗り越えようとしている。「彼女たち」も、必死でそれを追いかけている。キツイなぁとは思うんだけど、その動きが見え、それとなくその想いを察することができるようになった今、少し前に進むことが出来そうですよね。ちょっとうらやましい気もするな。