『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

母、リベンジ(?)を誓う~古巨木フェチ、ひれ伏す~

 前の記事からの続きです。

 母に北島国造館のお庭のベンチに待っていてもらって、私はこんな道を歩きだしました。


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 ここから、すんごく普通の田舎の住宅街となり―。


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 たいして歩くことなく、案内板に沿って左折すると、こんな小道へ。そして、その場所はありました。

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 通称、「命主社(いのちぬしのやしろ」)。正式名を「神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)」という長ったらしい名前の神社です。地元の方は、「いのっさん」と呼ばれると書かれていました(そりゃ、端折るよね)。

 ここに祀られているのは、この世ができた時に最初に現れたという3柱の神様のうちのひと柱(興味がある方は、あとの2柱は検索してみてください)、「カミムスビノカミ」。つまり、アマテラスさんより、ずっと古い神様です。
 
 ちなみに、オオクニヌシさんは兄弟たちに意地悪されて何度か死んでいるんですが(神話によると)、そのオオクニヌシさんを、二人の女神を遣わしてよみがえらせたのがこの神様なんだそうです。で、その子供が、この前の記事にかいた、スクナヒコナさん。つまり、親子でオオクニヌシさんのバックアップをされたということになりますね。 その働きにしては、む~らの鎮守のか~みさまの~♪(だったっけ?)って感じのお社ですよね。 ただ、そのお社の前には、このお社を守るかのように、とんでもなく古い巨木がで~んとあるんです。


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 樹齢1000年余。高さ17メートル、根元の周り12メートルのムクの木。実は、私はこれに会いたかったんです。これを見た瞬間、「こりゃだめだ」と思いました。いろんなものを撮ってきたけど、「これは撮り切れない」と。その姿全部が入り切らないとかいうことではありません。この木のすごさは写真には写せないと感じたんですね。撮ってみて思ったんじゃありません。見た瞬間そう思ったんです。それほどにすごい気でした(「気」。変換して出てきた字。「木」の誤字ですが、このままでいいような感じだったんで、そのままにしときます)。

 生きてるよ、あれ…。いや、そりゃ生きてるんだけど、ほとんど仙人の域(×1000くらいの)。これではわかりませんが、黒々と浮き出た古い根は、ドクドクと息づいている感じで、実は怖かった…。これまで下手の横好きで、ワクワクしながら神社のご神木をいくつか撮ってきたけれど、そういうこわさとともに、撮り切れないなんて気持ちになったのは初めてでした。

 実は、この木だけではなくて、このお社の向こうには、「眞名井遺跡」とも呼ばれる、すごい場所があります。古代の儀式が行われただろうといわれる場所です。元々そこには、巨大な岩石が置かれていたらしいのですが、350年ほど前に、その下に銅戈(どうか)と勾玉が埋められているのが発見されたんだそうです。

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                            こんなとこね。

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これが銅戈(銅矛などと並んで、弥生時代を代表するもの。北九州でつくられたもの)


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                       勾玉(糸魚川のあたりのもの)

 この二つが一緒に発見されることはほとんどなく、ほんとにごくまれで、三種の神器と呼ばれるもののうち、鏡をのぞく二つと同じ。つまりは、それほど重要な神籬(ひもろぎ・神様をお迎えする場所)だったのではないかと考えられるそうです(これ、大社の宝物館に現物があるそうなので、今度見てこようと思っています)。それを知った時、ほんとに身近だった出雲ってとんでもない場所なのかもしれないと思えてきたものです。

 まっ、それはともかく、古巨木フェチの私にとっては、「仙人の木」に会えたことが一番の衝撃であり、収穫でした。でもね~、この木、夜中見るととんでもなく怖そうだと思いませんか?(続く)