『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

美しき勾玉




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おかげさまでキーボードをたたけるようになったので、この前の記事の続き。母の検診後のお話です。

 例によって、診察の後出雲に移動。今回は、出雲大社に徒歩でも行けるところに新しくできた旅館に泊まることにしました。よく泊まるホテルでその日泊まれる部屋が、「基本的には喫煙タイプ」の部屋しかなかったからです。私はそこまででもないんだけど、母はとにかくにおいに敏感で、以前禁煙室をお願いしたのに禁煙を脱臭しただけの部屋で泊まることになったとき、一睡もできなかったという人なので、さすがに他にないかなぁと探してみつけた旅館でした。

 でも、それが幸いでね。JRの駅前じゃなかった分、移動の時間もいらないし、朝がゆっくりでもまだ団体さんなどがいらっしゃらない時間にお参りできたんです。以前、中国の団体さんに巻き込まれてあれこれ時間をとられたときのことを思えば、夢のように快適でした。上の画像、拝殿にだ~れもいらっしゃらないでしょ? 参拝客は境内にパラパラとはいらしたんだけど、それぞれが一組一組がこんな中でお参りができ、その上、一度も行ってなかった場所もゆっくりとのぞくことができました(そこには、いつでも行けるからと行ってなかったということなんですけどね)。

 以前、ここでこんな記事を書いたのを読んでくださった方があるでしょうか。
 こんな記事↓


 このときの記事で書いた、「眞名井遺跡」から出土した銅戈(どうか)とヒスイの勾玉の本ものを、今回は境内の銅の鳥居を入って右手にある宝物館に見に行ったんです。これが、いつでも行けると思っていた場所。

ここから近い古代出雲歴史博物館には、これらのレプリカが展示されていて、それを見ていたので、その大体のイメージはつかんでいたんで、後回しになっていた…ということもあるんですけどね。

 そう広くないその宝物館には、大社に収蔵されている文書などの宝物が展示されていますが、私のような、上で書いた二つや、「高層の神殿などなかった。想像の産物だ」としていた高名な学者さんもいたのに、実際に境内から掘り出された古代から伝わる設計図通りの古の神殿の巨大な柱、そして、その図面通りなら古代に建っていたのはこんな神殿だったろうというのの模型や、あれこれの説明くらいしか興味のないようなやつには、ここは豚に真珠状態の場所でした(正直に言うと、「それはレプリカでいいよ」という方には、その3つのレプリカがあり、近在の遺跡から発掘された本物の銅鐸や剣などの並ぶ展示に圧倒される古代出雲歴史資料館の方が、個人的にはおすすめです)。

 ただ、その銅戈と勾玉の本物を見てみたかった今回の私には、それが見られることに、ちょっとワクワクしてました。おまけにだ~れもいやしませんから見放題です。…って、実際見られたら、これか~(勾玉は想像より小さいな)と思われるだろうとは思いますけどね

 北九州からやってきた銅戈。そして、糸魚川から来た勾玉。弥生時代の最高水準にあったそれらが揃って出土されたのは、日本の中でこの大社の命主社だけ。それだけでも、その遺跡は古の由緒ある祭事の場所だとわかりますよね。

江戸時代に出土したこの二つですが、勾玉はほんっとに美しかったですよ。長さ3.6センチ(確か)。上の画像なんかくらべものになりません。本当に透明(透明感のある緑色)できれいな形。

 下世話な話、今買うとすればとどれくらいするんだろう。欲しいなぁと思わず思う私。ネックレスにしたりして大事にするんだけど…って、いやいや。そんなことを思うだけで罰が当たりそう…。それよりも、こんなきれいなものを古代の人たちが作る技術を持っていたというのに感動します。それを神にささげたんですよね。

 この勾玉は、深い土の中で長い間何を思ってきたんでしょうね。そして今の世を見て、何を思っているんでしょう。
 


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さて、この後、一度は行ってみてといわれていた、国宝の古い古い神社に向かいます。