『光と風の間(はざま)で』総本家

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メデリテな彼女たち(体験的SMAP論) その1

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実は、もうちょっとたってから記事にしようかなぁと思っていた、「彼ら」、SMAPの話です。いや。彼らを応援する人たちの話…と言った方がいいかも。

 あの騒動以来、時折ファンの方のブログを読ませていただくようになりました。その中で、これまで知らなかったことを知ったり、「彼女たち」の深い想いを感じたりするようになり、彼女たちに心を寄せるようになったのですが、その中にこんな言葉があったんですね。

 「普通の主婦の自分が、まさかメディアリテラシーなんて言葉を知ることになるとは思わなかった」。

 これ、私もすごく共感できる言葉だったんです。「メディアリテラシー」。簡単にいうと、「世の中に流れている色んな情報を見て、鵜呑みにするんじゃなく、本当に信頼できるものを見極める目を持つ」っていうようなことになるのかなぁ。

 「あの子」の報道が、それこそユーミンがSMAPの解散騒動についていった言葉じゃないけど、「あまりに理不尽」で好き勝手な言葉であふれていることに気がついてから、ほんとのことが知りたくて、期せずしてそれを学び、この小さめの脳がアスリート並みに(?)鍛えられていったのと同じことが、実は彼女たちにも起こっていたんです。

 実際、ネットには彼らの騒動とメディアリテラシーに触れた記事も出ているので、「なんのこっちゃ」と、見方より先に言葉から入った人もいるかもしれません。彼女たちもいろんな報道について、自分のことのように胸を痛め、ほんとのことが知りたいと、彼らのタイトルのついた記事を片っ端から見ていったはずですから…。この言葉を吐いた人なんて、まさにそれだと思います。

 世の中に広げられた(そう。広がったではなく、広げられた)いろいろな情報を見ていって、その「メデリテ」(ここで約すか…?)のプリズムをのぞくと、誰が見ても、ちょっと変だな~と思える報道の本元が見えてきます。

 「あれは、おかしい」、「これはありえない」。そう思うことは、長年見てきた彼女たちだからこそたくさんある。当然です。これは、時代や業界の勢力図、型通りの系列なんて、理屈好きな男の人が多く陥りやすい見方ではなく、もっと感覚的なものだけど。

 そう詳しくない私たちだと、そうなのか…と思ってしまうことさえ、100%ありえないことを見ぬく。そして、それは案外ちゃんとした検証になっているんです。そして、そのことが、その後で起こってくることの伏線になっていたりもします。そういうことを理屈じゃなく繰り返していった彼女たちは、「結局信じられるのは、自分たちが長年見つめ続けてきた、『今はこれについての自らの言葉を発することを止められているらしい、彼らの態度』しかない」と察したようなんですね。

 そんな様子を見ているうちに、まるで以前の自分を見るようだと、ただ心を寄せていた私も、さらに感じることがありました。それは、あいまいで自分目線なものなのに、「愛ほど確かなものはない」…と言うこと。そんなことを、これから2~3回に分けて、ボソボソと話していこうと思います。