『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

いろんなことをかかせてもらって~郁男はクズじゃない!~

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「彼ら」のファンの方について語る言葉に、「解散新規」というのがあるようです。「解散騒動後に「彼ら」のファンになった人のことを指すみたい。いつもテレビで見てはいたけど、それなりに曲もしっ手はいるけれど、一体どういうグループだったのか知りたくてネットを徘徊。30年近い「彼ら」の活動や聞いたことのない曲や、ステージでのあれこれを知るうちにファンになっていった人のことをいうんですね(そうして彼、彼女らは、ひそかに次のライブを待っている)。


 私もそれに近いのかもしれません。「あの子」についてもそうだったように。「私はSMAPのファンではない。SMAPのファンのファンだ」という人がいるように。「彼ら」のファンの想いは熱く、そして優しい。そういうのを目にしたからです。それぞれの立ち位置によって、今の想いは少しずつ違うところができているのかもしれないけれど、多くの人の願いは再結成…なんだと思う。不仲が原因ではないと、「彼女たち」にはわかっているんだから。


 彼らの番組でやっていた東日本の震災への募金のお願いを受け継ぎ、今でも毎週月曜日の22時にツイッターのトレンドに上がるくらいの数の人達がそれについてつぶやいているのもすごい。自分たちのつらい時も、それをやめなかった「彼ら」の想いを引き継いでいるんです。なかなかできないことですよね。すごいわ。


 そんな想いを、そして、解散騒動の中で彼女たちが傷つけられた想いを、「彼ら」もよく知っています。いや。何十年も彼らを見てきてくれた人たちの想いを。「彼ら」のうちの下3人が独立し、その後であった「72時間ホンネテレビ」で、アイドルを若い一時のちやほやされる存在のような感じに話し、それについて話を振った芸能界の某大物さんとの対談で、「末っ子君」は。「僕はアイドルです」と言いきりました。「たった一人の人でも、僕を必要としてくれる人がいる限り、僕はアイドルでい続けます」というようなことを、たしかいつもよりちょっとだけ早口で言った…(ように思います)。


 今年上映された彼主演の映画で、彼の演技を見た多くの人が、ギャンブル依存症を演じ「脱アイドルした」彼の演技がスゴイ…と映画のレビューに書いていらしたけれど、そんなわけで、彼はアイドルをやめたつもりはさらさらないようです。そういう演技を見せることも、彼なりのアイドル活動の一環なのかもしれません。今もアイドルなら、ギャンブル依存症の役はいかがなものか…という人もいるだろうけど、アイドルというものについての定義が違うんですね。演技でも、歌や踊りなどのパフォーマンスでも、バラエティでも、「人に愛され、その想いに応える存在」。そういうことになるのかなぁ。だとしたら、やっぱり彼はバリバリのアイドルです。


 話は少しずれるけれど、ついでに言うと、彼の演技は過小評価されていたんだなぁと、映画のレビューを見て思ったんですよね。レビューの中に、「(彼が)後ろ姿で演技できるようになったんだなぁ」というのがありましたけど、それは20代の頃からです。大河ドラマの『新撰組』の一瞬の背中で、私はそれを十分に感じたことがありましたから。すごく熱心に毎回見てたわけでもないんだけど、その時ばかりはぎょっとしました。


 今回の映画で、お祭りの乱闘シーンがありました。撮影の都合で長回しだったというそのシーン。彼は別の人がやって見せてくれた一通りの「実演」だけで、それをはるかに超えるパフォーマンスを見せたと監督さんが話してらっしゃったようです。「彼はすごい役者だ」と興奮気味に話す監督に、彼をよく知る某役者さんはひとこと。「彼は元々大河の主演をはった男。そんなこと、あたりまえだ」(ニュアンスですが…)。


 さらに、私の後ろの方にいた若い男の子がしゃくりあげ、鼻をすする人が何人もいた映画を見てないとわからないことをもう一つ。郁男はクズじゃない! どうしようもないろくでなしだけど、クズじゃない。クズはあんなんじゃなく、あっちこっちにいます。そう。権威ある人の中にだってクズはいる…。


 『凪待ち』。心に残る映画でした。あれこれあらすじを語るのは野暮だけど、ラストのエンドロールのうしろの背景は、切なく美しくて、余韻を広げてくれました。まだ見られる所が近くにある方はぜひ。ストーリーにも無理はなく、俳優さんたちはどの人も見事。おちがない。お父さん、美波ちゃんは素敵だったし、それに、なべさん…。なべさ~ん(涙)。登場人物名だけどね。


 


 ※最後のあたりは、途中書きになっていたのを書きなおしたものの一部です。