『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

いざ拝殿に

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 前の記事の続きです。


 リアルだろうがエアだろうが、手を清め、口を清めして、一礼をして鳥居をくぐったら、そこは神域。このシリーズの最初の方で、神社と言うのは祓って祓って祓いまくるようにできているらしいという話をしましたよね。玉砂利もその一つで、じゃりじゃりと参道を歩いている間も、祓ってもらっているらしい、と。


 参道を歩く時に、こちらでも仕掛けられることはあると、「成功している人は、なぜ神社に行くのか?」の著者は言います。仕掛けるという書き方ではありませんが、あちら(神様)側の配慮に甘えるばかりじゃなく、こちらでも、より良いものを取りこめるようにやってみよう…というわけです。


 左足を出した時には息を吸い込み、右足を出した時には息を吐きだす。こうして、大地のエネルギーを取りこみ(当然吸い込む時に)、いらない(?)ものは外に出すのを(当然、吐きだす時に)イメージするんですって…。こうすることで、神社のエネルギーをよりよく取り入れられるようになるんだそうです。


 いや、これね、どうも私には無理です。廊下でやってみたんだけど、このやり方では、むしろテンポを狂わされてしまうんですよね。だから、ゆっくり呼吸しながら歩く…ってことにしようかな、と思ったりしてます。ちゃんとやった方がよりいいのかもしれませんが、本人が気持ち良くないんだもん…。気持ちの悪い状態のままで拝殿にたどり着いたのでは、それこそ大事な「スキマ」ができませんよね。


 そうそう。ただ、こうするといいよというそのやり方。人のたくさんいるところで、人酔いしてしまうような人に役に立つ方法なんですって。人のエネルギーを知らず知らずに受け取ってしまう。そういう人にいいらしいです。ということは、たくさんの人の前でお話しなきゃいけないような時、あがってしまうような人も、少しそういう風にして歩く時間を持つといいかもしれませんね。


 神社の境内で、瞑想するのもいいとも書かれています。瞑想とは言っても、呼吸に意識を持って行き、ゆっくりと呼吸すること…を言ってらっしゃるようです。本には木や石の力をいただく方法なんかもかかれていますが、さすがにそこまでは書けないか(同じようなやり方ですが…)。何か、むずかしいことや、妙なことではなくてね。そんな時間を過ごして、神社の気配になじんでいきましょってことではないかと思います。


 そういえば、神社の参拝時とはちょっと離れるのですが、出張し、ホームじゃない場所で仕事をする時には、時計回りで、その場所のドア、部屋の四隅などをそっと触って、(建物に)「お世話になります」とご挨拶しとくといい、というようなことも書かれていました。人にわからないように、さりげなく、そっと…(でないと、変人扱いされますからね…)。仕事に入る前に、その土地を守る神社にご挨拶を、というのもありましたね…。そうやって、そこを守る神社とつながることが、力になるから…と言うことだそうです。「神ネット仕事版」を作るってことね。


 そうだ! ホテルに泊まる時のことを記事にするって、このシリーズを書き始めたばかりの時に書いてましたよね。そのやり方を書いとかなきゃ。ホテルのようなところで、気持ち悪くなってしまう方もあるかも読んでくださっている方の中には、あるかもしれませんもんね…。


 本には、部屋の入口の扉、そして、時計回りで部屋の四隅とベッド、あとは、パウダールームの扉に、軽く水を撒いて浄化するという方法が書かれてました。ちいさな霧吹きを持参して、塩水を作りそれを吹きかければいい、ということのようです。


 出張時のこうすればいい、ああすればいい…を読んでいて思ったのは、これはみんな敬意に基づくことなのかな、ということです。初めてきたやつが挨拶もなく、自分のやり方で勝手にふるまっているのを見て面白い人はいないでしょう(気にしない人もあるのかなぁ…)。物も、建物も、人も、もちろん神様も同じ。等しく敬意をもってご挨拶する(で、浄化ね…)。すべてにありがとうって気持ちを持って動けばいいのかもしれないなぁと思ったんですよね。ありがとうは大事…。


 さて、話はと~んとずれましたが、自分を清め祓いまくっていただきながら参道を進めば、後は余計なことを考えずに、前に書いた拝殿での参拝の仕方で臨めばOK! 一応復習しときます?


 


①住所と氏名を伝える。


②お参りに来られた感謝を伝え、↑で考えた願いを伝える。


③祝詞(のりと)と呼ばれる、神道の祈り言葉を唱える(祓いたまえ、清めたまえ…ね?)。


 


 そういえば、感謝やお願いばかりじゃなく、神様に問いかける…というのもいいそうですよ。神様は必ずお返事を下さるそうですから。もちろん、特別な声が聞こえる…とかいう特別な方だけにではありません。ただし、直接神様からではなく、ふと目にした広告や、テレビや、誰かの一言。その答えは、そんなことの中にある…(おいでおいでと一緒ね)。つまり、受け取る気になれば誰にでも受け取れる。著者はそう書いています。


 そんな風に書いてあると言われても、「思い違いならどうするの?」と思います? それ、よく思ってたなぁ、私…。でもね、最近こう思うようになったんです。自己啓発系の本に、「自分の現実は、自分の思考が作っている」ってのがよく出てくるじゃないですか。もしそうだったら、「自分がそう感じたら、それで正解なんじゃないの?」って…。「そしたら、そうなっていく…。そういうことじゃない?」…って。


 悪いことを予想して、悩んでたって何も変わらない。そんなことに思い患うくらいなら、約束通りに神様と向かい合い、手を合わせてお話しして、神様にそっくり預けてきた方が、より健全な時を過ごせる気がしてきたんです。これを読んでからね。よけいなものを、自ら背負いすぎていたかもしれないな…って…。あとは、「あっ。あれやろ」や、「あれやっとなきゃ」って思ったことをやってればいい。それで、いい方に導かれるのではないか、と…。だってねぇ。神様に預けちゃうんですから…。ええ、「スキマ」を作ってね。


 さて、営業妨害すれすれのお話も、あと少し。もう一回で終わりです。あとは、大切な人を守る御祈祷の仕方…ってのもお話しとかなきゃね。


 


 


 


 


 


 


 

画像は、松江の熊野大社。