『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

清めの所作~目指せ!成功(?) その6~

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前の記事の続きです。


 神職さんの業務。それは、掃除と結界(神様が神社に降り立てるようよう、場のエネルギーを整えること)だと、「例の本」の著者は言います。そのために鳥居があったり、しめ縄があったりするんだけど、基本は、「ここから先は聖なる領域ですよ」と線を引くことなんだそうです。


 その聖なる領域を清らに整えるのに、一番の邪魔になるのは「カオス(混沌)」。混乱がその場を支配すると、エネルギーは前にも後ろにも、上にも下にもいけなくなり、その場に停滞することになるといいます。


 知人の学者さんが、「お札やお守りをいただくなら、境内がきれいに掃き清められているところのをいただきなさい」と言ってらしたんだけど、きっとこのためだったんですねぇ。「掃除もしてないような、神様が降りてこられない混乱した場にあったお守りをいただいてどうするんだ。そんなもん、役に立たんぞ」ってことなんでしょうね。そういえば、「お賽銭は、神様の依代(よりしろ)。重さや大きさからも500円が適当」とも、この本には書かれてましたねぇ…(私、500円なんてめったに入れてませんでした)


 この本の著者さん、「神ネット」において、神社はパソコン、お守りはスマホ(携帯含む)のようなものだと思えばいいと言ってらっしゃったんです。神棚もその端末のようなものだけど、神棚に向かっては、何かを願うのではなく、今自分がこうしていられることを感謝しなさいというようなことを言ってらっしゃいます。神棚の掃除も、しとかなきゃね。


 そういえば、パソコンって、あれこれのデータがたくさんになってくると、肝心の探し物がなかなか見つからなかったりしますよね。神棚だけじゃなく、パソコンのいらなくなったデータを削除したり、フォルダの中もまめに整理しとかなきゃ…。こういうことも、場の清めですよね。いや。神棚やパソコンだけじゃありません。部屋の掃除は、もちろんですよね。


 さて、鳥居をくぐり、その結界の向こう―清められた場に進むためには、こちらもそのための準備が必要。…とは言っても、難しいことじゃありません。基本的なルールさえ守ればいいんだそうです。


 昔ならまず、水に浸かって、身を清めるために「禊(みそぎ)」をするところなんでしょうが、私たちは手を洗うことで代用しますよね。ところが、場所によっては、手を清めようにも、手を洗うべき水がなかったり、それで洗うと汚れちゃいそうな水になってしまっているところもあります。

 そういう場合は、両手をこすり合わせ、見えない汚れを払い落とすように両手の甲を払えばいいんだそうです。手水舎では、手を清めた後、水を手に受けて口をすすぎますが、これもさすがにできません。ここでもシュッシュッと、体の中の汚れを落とすように息を吐く…。つまり、エアで手を清め、口を清めればいい…と言うことですね。神社で、エアが効くとは思いませんでした


 そうそう、エアついでに。行きたい神社に、時間や距離的になかなか行けないというようなとき、バーチャルな「遠隔参拝」をすればいいと、この本には書かれています。まず、ネットで行きたい神社のホームページを探します。ところによっては、行った気になれる「バーチャル参拝」ができるような項目を設けているところがあるので、そういうのを利用してもいいんだそうです。「感じる人」である著者には、それでもちゃんとその神社の気が感じられるそうです。たぶん、参拝所の画像などでも同じような効果があるんじゃないでしょうか。


 これは営業妨害になるかなぁ…。その時のみそぎの方法はこんな風に書いてあります。まず、両手を挙げて万歳。光のシャワーが、頭に降ってくることを15秒イメージ。そのあとは、上で書いた、エア清めの方法で大体OK(ただし、それを2回繰り返す)。


 エア参拝は、拝殿の画像を見てイメージして、2礼2拍手。イメージしたまま、その場所の名前を3回唱え、もう一度2拍手。そして、住所氏名と感謝、願い事を伝え、例の「祓いたまえ、清めたまえ 神ながら……」を唱える…なんていうようなことが書いてあります(もっとちゃんと知りたい方は、本で確認してくださいね)。


 その気になれば、この方法を試してみてください。私は、一度やってみようと思っていますさて、それでは鳥居をくぐりましょうか。