『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

やっとこさ【家族ノカタチ】をカタチにする その3

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 前に書いたように、このドラマには「いや、ありえないでしょ!」という出来事は出てきません(人によっては、多少あるかもしれませんが)。その分、どの人の言い分も、納得できないにしても、それとなく理解はできるんです。だから、時にしみる…。


 いろんな出来事を経て、一人で生きていこうとする息子や娘。「家族」を持つのもいいもんだ…という正論を話す(ただ、そうするべきだとは言わない)父や母。年代差もあり、ぶつかるのは必然です。


 ろくに話すこともなかった父親が、買ったばかりの新居にいきなりやってきて、それも、得体のしれない中学生の義理の弟を連れてきて居つき、好き勝手しながら「家族」というものの正論を吐きまくる。そのうっとおしさと、自分の生活を乱されることに切れまくる息子。それも当然…。


 見ている側の想いは、多分その年齢や立場によって変わるとは思うんだけど、ドラマの中で起こるあれこれの出来事を自分なりに受け止めているうちに、段々と、これまでは認められなかった「それ(そのカタチ)」もあるか」…と思えるようになっていき、毎週最後には、様々なトラブルの中で出す大介の判断に心が和らいだんです。


 超人的だったり、変人だったり、特殊な才能を持つ主人公だったり、刺激的な表現、先を急く早いストーリー展開。そういうのとは対局にあるドラマですから、「この先はどうなるんだろう(ドキドキ)」はほとんどありません。最終回の成り行きも、大体想像できました(実際、「なるほど」なラストでしたが、そこに、「そうきたか~。え~。そこも? なるほどね~。そうか、そうか…。ああ、そういえば…」と、きめ細やかな配慮に感動したり、その伏線にやりと笑える、そんな終わり方でした)。


 そんなドラマの回が進んでいくたびに、終わってほしくないという声がずいぶんと見られるようになります。毎週の日曜日がどれくらいほっこりと穏やかに終われたか…とか、視聴者自身の生活もその感想に書かれるようになります。登場人物たちに、愛着を感じ始めているからこそ、ですよね。そして、「大介のしてるあの時計は、自分が気になっていたやつ。どこのでいくらくらいだ」とか、「葉菜子の衣装可愛い。あれはどこの?」なんて話も出てくる。いい悪いは別として、最近のドラマでそういうことはなかったんじゃないかなぁ。何て言えばいいんだろう。見ている側と演じられている役柄がとても近い感じだったんですね。


 そうなったのには、ストーリーもあるけど、まず、主人公の二人の演技があります。とても自然で息もぴったり…。「あの慎吾君」でもなく、『のだめカンタービレ』の「のだめ」をやってた上野樹里さんからも離れた、ありがちなことに迷い動揺する、当たり前の感覚を持った人を自然に演じていました。

 毎週見ていた側にとって二人は、大介と葉菜子…(ダイスケとハナコって…、「宮川」をつけると別の人になるんだけど…)。西田敏行さんも、風吹ジュンさんも、あくまでも大介の父の陽三であり、葉菜子の母である律子さんだった。陽三さんの新しい奥さんや子供、大介と葉菜子の部下や上司や同僚、デキすぎた元旦那やデキすぎた元カノなんかも、そう。すんなりと見ている側の気持ちに入り込んでくる、善良な普通の人たちでした。(その4に続く)