『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

やっとこさ【家族ノカタチ】をカタチにする その2

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 このドラマには、俗にいう「悪役」は一人もできません。それぞれの視聴者の生き方・感じ方で、いらっとする対象があるとしても、基本的には一時的な悪役(あとで改心)…というのもいないんです。それぞれにいいやつです。みんながちょっといい人すぎるきらいもあるけれど、それぞれが、それぞれの生き方に誠実です。


  そして、特別な生活をしている人もいない。ちょっと小金があるとしても、普通の人です。狂気の人も、横暴な権力者も、はぐれものの刑事も、性格に難がある(?)腕利きの医者も、突飛な弁護士も出てきません。そして、男女の想いも(も!)描きながら、本格的なラブシーンなんて一回も出てこない。最近のドラマとしては、ほんと珍しいタイプのドラマでした。


  その分、刺激のないドラマと感じる方もあったかもしれません。特に、同じ局で同じ時間の、一つ前、そして、そのひとつ前の刺激的なドラマからすると、余計にね。レベルメーターを一気に反対に振り切るようなものですから。でも、続けて見てみると、それぞれの想いが推し量れ、自分の想いも投影しながらハマれる…。そんなドラマだったように思えます。


  話は少しずれますが、刺激は人の感覚を麻痺させますよね。時々の刺激はいいけれど、常に強い刺激に慣れてしまうと、繊細なものに鈍感になってしまう。たとえば、とても強い香辛料を使った食事に慣れている人は、香りを含めて十分に吟味されたものでも、それ(刺激)がないと物足りない…。というか、微妙な味付けが、わからなくなってしまう…。ドラマにおいても、そんなことがあるんじゃないかな…と、ちょっと思ったりもします。


  話はもっとずれまずが、スキャンダルの報道などもそうだと思うんです。もっともっとを繰り返すあまり、自分だって決して褒められた生き方ばかりをして来たわけじゃないだろう(打ち解けて心の内の話をしたわけでもない相手のことを、さも知ったげに、その内側をえぐるような記事を書ける時点で、そういう人だと思う)のに、無条件に相手を責め続けるということが、そして、不確かなことで読者や視聴者をあおるということが、どれだけ理不尽で残酷なことなのかわからなくなっているんじゃないかと思うことがあります。


  たとえば、このドラマの主人公、大介を演じていた香取慎吾さんのいるグループについてもそう。どれくらい、偏向したり、あらぬところに踏み込んだ記事があることか…と、ネットのニュースの項目を見るたびに今も思うんです。


  最初の時期は、四人と一人の対立を描き、次に年上の二人の対立を描き、今度はこの慎吾君にかかわるあれこれを…という方に報道が流れていっているようで、そのあとはだれを、どのように痛めつけるつもりなんだろうなんて思ってしまいます。

 ご本人、よく耐えてるなぁ…ってつくづく思う。そして、それを見ているファンの人のブログなど見せてもらうと(「あの一件」から時々見せてもらっているので)、ほんとに切なくなってしまうんですよね。本人たちの口からは聞いてない言葉で始まって、今も報道に散々振り回され、新曲も出ず、コンサートの決定もなく、それでも彼らを、彼らだけを信じようとしてる…

 その中の、「アイドルを好きになるって、こんなにつらいことだったんだ」って言葉がとてもしみました。だよね…。そう思うよね…。


 さて、えらく脱線してしましました。ごめんなさい…ということで、一気に話を引き戻しますね。


 このドラマ、よくある普通さの中で、その配役が絶妙でした。どの人も、ほんとにぴったり。それだけに、引っ掛かる配役があって、ストーリーに入り込めない…なんてことはなかったんですね。ほんとにそこにいる人のよう…。これも、「するめ条件」に当てはまることだと思います。


 そういえば、偶然見た某テレビ雑誌で、同時期にオンエアされたドラマのトップを決める、「ドラマアカデミー賞」というのにおいて、このドラマがいちばん多くの読者票を集めていました。視聴率からすると、ありえないことだと思います。


 このドラマのプロデューサーさんも、「視聴率の低さでいろんなことを言われて悔しい想いをしたが、ドラマ終了からしばらくたっても、その感想が(ドラマの公式サイトに)寄せられている。こんな経験は初めてのことだ」というような談話を残されています。


 「日曜の夜くらい、ほっこりして終わりたいと思っていた」。ある視聴者の方の言葉です。そう。このドラマのおかげで、1~3月期はほっこりして終われましたねでも、このドラマ、ほっこりだけじゃなかったんです。