『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

家族ノカタチ~家も人も永遠ではない~

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 新しいドラマが始まっているのに、やっと書き始めようとするこの「家族ノカタチ」の感想…。案の定、次のドラマとの視聴率の比較がネットニュース(!)で始まっていて、つくづくあざといなぁ(誰がとは言いませんが…)と感じています。そういうやり口が大嫌いで、そんなことに持ちあげられるドラマは見ないも~んと思う、ちっちゃいやつは私です

 それはともかく、強い刺激とか、とんでもない裏切りとか、異様な人格とか、そういうのとは全く関係のないこのドラマ。見られそうになくて録ってあったのはと限定してですが(最後の4話分はリアルタイムに見て、さらに録画していました)、何回か見直した、久しぶりのドラマでした。その内容をなぞるだけではなく、そのつど新しい発見があるんです。それに気がついて、改めてうれしくなってしまうくらい設定もきめ細やか…。たとえば、この↑の画像の、それぞれの「ウかんむり」、そして、下の大きな「ウかんむり」にさえ、「はいはいはい。なるほどねだからこうなのか…」となる。

 わかりやすい所では、このドラマの中で、主人公(香取慎吾君ふんする大介)が自分の気持ちを毎回とつとつと語るのですが、そのモノローグが、その回での内容を伝える、けっこう深い言葉になっているんですね。その中には、「そうだよね~」と思う言葉や、チクリと胸が痛んだりする言葉が、たくさんありました。話は少し内容からはずれますが、このドラマの最終回の最初に、こんなモノローグが出てくるんですね。


                家は一度建てれば 50年100年とそこにある
                しかし、その中に住む人たちの姿は 日々変わる
                
                出ていく人 入ってくる人
                生まれる命 消えていく命
         
                そうして そこに住む人たちのカタチは
                いつも変わっていく


 内容からすると、「いろんな『家族ノカタチ』があっていい。こうであるべき…って決めつけなくていいんじゃない?」とでも言いたげなこの言葉なんですが、今度の震災の様子を見ていると、その50年、100年とそこにあるはずの家さえも、保証されたものではないと思えてきます。だからこそ…、たとえうっとおしくても、家族って大事なんだよね。

 さて、話を戻して、次はその内容について書いていこうと思います。