『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

小さなお社(’16 出雲路の旅3)

 前の記事で書いた、田中神社。佐太神社の摂社で、飛び地にあるというのは調べていたのですが、「わかりにくいところにある」と書いていた方もあって、行き会ったタクシーの運転手さんに場所を聞いてみました。ところが…。
 
 「田中神社…?(キョト~ン)」
 
 ネットで見ると、いくつか拾うことができるのに、地元のタクシーの運転手さんは、「佐太神社にはお客さんを運ぶことはあるけど、その神社はわからない」と言われるんです。「その佐太神社の摂社です」と話し、ただ小さなお社が二つあるだけの神社らしいと説明すると、「ああ…。小さい祠があるなぁ、近くに…。あれかなぁ…」と何とか記憶をたどって、それらしきものがある場所を、ついでにそこから佐太神社本社への行き方を教えてくれました。
 
 あたり! でした。話に出てきた「小さな祠」こそ、田中神社だったんです。ありがと~!とは言っても、その場に行ってみれば、わかりやすい場所だとわかったんですけどね。だって、「佐太神社」のバス停の真ん前にあったんです。「佐太神社へのバス停は?」って言えば、すぐわかったんですね、きっと…。タクシーで向かう方には、バス停は関係ないから、すぐには思いつかれなかったのかもしれませんけど。
 
 そのバス停前に立って、ポカ~ンとしました。まわりは家ばっかりで、小さなお社が二つあるだけの、殺風景な風景。鳥居もないんです。その場所がネットで聞いた(読んだ)ほどの力を持った神社だとは、一瞬思えなかった。もしかしたらだけど、田中神社という名前も、この民家が立つ前、あたりは一面田んぼで、その田んぼの中にあるから田中神社と名付けられたのかもしれないと思いました。だって、地名にも祭神にも、全く関係ない名前ですから。 

 最初はそんな風に思ったものの、いったんその狭い敷地に入ると、どういうわけか、そこはかとない切なさが湧いてきました。姉妹それぞれのお社は、背中合わせに建っています。一方は佐太神社に背を向ける形で。もう一方は、佐太神社と向かい合う方向を向いて…。その地域の小さなお社。そんな外見の二つのお社の主は、ずっと背中合わせでいるんでしょうか。

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 とはいうものの、ここへ来た目的は、母に病気との縁を切ってもらおうと思ってのことでした。それなりに回復はしていても、もっともっとすっきりしてほしいと思ってのこと。だから、「ここは、これこれこういうお姫さんなのよ~。病気と縁切りして、もっと長寿にしてもらえるように、しっかりお願いしてね」とか話し、二人でイワヒメさん(勝手に略名)のお社にお参りします。

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このお社でこれまでの気枯れ(けがれ。本来の意味はこの字の通りだという話があります。前に進む気が枯れる…。だから、気枯れ)を落とさせていただき、道開きを佐太神社の本殿にお願いする…。ここは、そういう形になっているのかも…なんて思いながらね。
 
 今度は、お参りして、道を少し曲がったところにある佐太神社に向かいます。ちゃんと見えれば、こんな風↓に見えるはずでした。

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 「はず?」。はい、はず…。見えたのはこんな↓風景。

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 実は、出雲大社の遷宮のときのように、社殿の改築が行われていたんです。それが行われているのを知らないわけではなかったんですよ。ただ、ネットで見かけた記事が昨年のものだったので、もう終わっているだろうと勝手に思いこんでいたんですね。

 前の写真を見る限り、立派な社殿ですものね。一年以上かかっても当たり前でした。今年の後半、遷宮のようなお祭りがあるというのは、ここにきて知りました。もうちょっとあったのねぇ…。そのために、前に記事で書いた後ろの山に上がる道も普通には使えないようでした。

 とにかく、仮拝殿に向かいます。せっかくここまで来たのですから、しっかり、これから力強く前に進めるようにと願うために―。もう一度、きれいになった佐太神社を訪れてみたいなぁ。そうだ。お願いしたのだから、お礼に来なければなりませんね。

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 とても暑い日でした。実は、もう一か所行きたいなと思っているところがあったのですが、私一人ではないので今回はあきらめました。その分、このあたりをゆっくり眺めることにしました。近くに橋があり、そのあたりまでぶらぶら歩きます。
 
川を挟んで、イワヒメさんのお社が見えました。そのお社は、佐太神社ではなく、人々の営みをまっすぐな瞳で見てくれているように思えました。

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 そうそう。今回も連れていっていたこの子たち、出番がなかったですねぇ。

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