導きの神様(’16 出雲路の旅2)


 縁切り&縁結びの摂社、田中神社を持つ佐太神社は、出雲二ノ宮。古い歴史を持つ神社です。神々が神在月(旧暦10)に縁結び会議に出雲に集まられたとき、最後に集われるのがここだといわれています。なぜここを訪れるのか…というより、訪れなければならないのか。それは、この社殿の裏にある、これ↓が関係しているようです。


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  拝殿の背後の比婆山中にある、イザナミ様のお社「母儀人基社(はぎのひともとしゃ)」。会議後半戦&ごくろうさん会が終わった後、皆さんここにお参りして帰られるんですって。言ってみれば、年に一度くらい故郷に里帰りする人が、本家の、曽祖父だかその前だか、その前の前の方だかわからないけど、とにかく一番最初の、苔むしたお墓にお参りする…といった感じでしょうか。

  茂る木々の中を5分くらい歩いたところに、この岩が祀ってあるんですって(私はここまで行っていないので、「ですって」…なんだけど)。これは磐座(いわくら)と呼ばれる、神様の寄り代となる石をお祀りする古い形の信仰の仕方で、下の社殿よりも歴史は古いのだそうです。

 「感じる人」には、「エネルギーが強すぎて、神聖すぎる場所。観光気分では行くとえらいことになる」と感じられる場所だそうで、それだけの覚悟はなかったので、拝殿で手を合わせるだけにさせていただこうと元々思っていたんですが、実は今回はとても行ける状態ではなかったんですよね(まっ、それは後でお話するとして…)。

 お祀りされているのは、スサノオさんはじめ、主にスサノオさんゆかりの神々なのですが、主祭神は、佐太大神。導きの神とされている方です。話は少しずれますが、導きの神というと、伊勢神宮のあたりのことをいろいろ調べて行かれた方だと、思い出されることがあるんじゃないでしょうか。「導きの神様といえば、アマテラスさんの道案内をされたことから道開きの神とされている、「猿田彦」さんがいらっしゃるじゃない」、と。猿田彦と言っても、もちろんコーヒーショップではありません(…などと、ちょっと遊んでみる)。

 実は、今のこちらのHPでは、猿田彦大神=佐太大神とされているようですが、明治の初め、上から、「佐太大神は猿田彦大神のことだから、主祭神を猿田彦とせよ」というお達しがあった時、佐太神社はがんとしてそれを受け入れなかった、というんです。

 それだけ頑張るには、それなりの理由があったはず。ということは、佐太大神は猿田彦さんとは違うんじゃないかしら…という気もしましたが、佐太大神は佐太大神。猿田彦さんは猿田彦さん。それぞれでいいんじゃないのかなと思うんだけどなぁ。明治政府にとって、同じ人でないといけない理由があったんでしょうかね。そして、それだけ頑張った佐太神社側も、いつからか、「まっ。いっか…」と思えるようになっていった…ということなのかしらね…。そのあたり謎です。