とてもいい機会(前記事「世界に一つだけの花」の続き)

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 昨日の記事の続きです。「SMAP」の問題についての記事を、気になってごらんになって、揺れているいるあなたに―。

 ニュースの項目を見てみると、同じ出来事のはずなのに、記事(を出しているところ)によって内容がまるで真逆に思えるものさえあることに気が付いていると思います。そういうのを見れば見るほど、混乱するんじゃないかな。そして、「一体何が本当なのか。『彼ら』の本当に気持ちはどうなのか。それを知りたい」といらだってもいるんじゃないでしょうか。

 ちょっと気に入らない言い方になるかもしれないけど、これはとてもいい機会です。今回のことで、余計なことに振り回されないようになれるかもしれないですよ。

 まず、最初に言いたいのは、記事がそれぞれ違うのは当たり前だということです。それぞれに、書いた人が違うからです。間に人を通して、真実そのままが伝わるなんてありえないと気が付いてください。

 記事を読んでみると、その偏りが見えてくるはずです。たとえば、「これこれ、こういうことがあった」とか、「誰それがこう言った」と書かれているのを見てみましょう。二つの陣営が向かい合っているとしたら、その片側について、いい内容しか書かれていない場合、あるいは、その側からの言葉しか書かれていない場合、そして、その反対側のことだけが悪く書かれている場合は、間違いなく、「問題ないように書かれている側に都合のいいように」読む人を誘導しようとする記事です。書いた人の好き嫌いもあるでしょうが、会社の名前をしょって記事となっている限りは、その会社にとって、本当のことを書くよりも、そう書くことがメリットがあるからだと思ったほうがいいと思います。

 もちろん、あったことがあったように書かれている場合もないわけではないでしょうが(そうないと思うけど)、その場合、「あちらはこう言っているが、こちらはこう言っている」…という書き方になるはずです。片側からの言い方や見方しかしてない場合は、どちらかに偏っているということね。もしくは、そのように読む人を誘導したほうが、自分たちにとって都合がいい…という場合もあります。そんなもの、たとえ自分がほっとできる記事だって、信用できないということです。のちのち、裏切られた想いにとらわれることさえあるかもしれませんから。

 それなら、その記事の中で、信じられることは何でしょう。たとえば、署名記事というのは一つの目安になるかもしれません(これは、日本の記事である場合は、と、私はとりあえず考えています。海を渡ると、署名記事でさえ創作ということもあるのを知っているので)。作り事がわかってしまった場合、被害や非難をこうむるのは自分ですから、書くことに慎重にならざるを得ないでしょ。さすがに、あまりにいい加減なウソまでは書けない(組織が強固なら、書く場合もあり得る)。

 記事の中に、本人達以外の個人名を挙げて、「その人がこう言った」というのも、同じです。その人の思い込みという場合もないではないけれど、その発言をしたという責任は、その人にかかってきますからね。とにかく、間違っても、「ある関係者によると」なんて話は信じないことです。

 記事が、どちらかだけの見方や発言で書かれていないか。得体のしれない「関係者」が登場していないか。この二つだけでも、かなり記事を見る目は変わるはずです。そういう書き方がされている場合は、ほんとのことを書いてないわけだから、信じて心配するのはあほらしいということね。本当のことは、本人達の口から出ると信じていればいい。それが出ないうちは、確かでもない記事で悩むことないよ。

 確かに、「彼ら」に混乱した状態はあるのでしょう。でも、結果は出ていない。内容を見る限り、そこまでが本当のことのように感じられますけどね。 そこに至るまで、揺れ動くことがあるのは当然のことです。人生が変わってしまうのだから。でも、それをいちいち記事にして知らせるのは、どうかと思う。まして、最初にその話を言い出したところは、かなりに偏った記事を出しているようだし、かなりあやしいね。いろんな意味で…。

 ただ、その記事が出たことで、それぞれが「彼ら」をどう思っているか。そして、自分たちが何を望んでいるか。それをアピールする機会が、ファンと呼ばれる人たちに得られたのは良かったとは思うんです。それをやってどうなるかはわからないとしても、少なくともその気持ちは「彼ら」に届くでしょう。もちろん、「本当のほかの関係者」にもね。気持ちを伝えたのだから、それをどうするかは「彼ら」にゆだねればいい。恋愛だって、そうだよね。

 これってね、記事だけじゃなく、どんなことにでも使えるんだよ。一生もんだよ。なんかの噂を聞いても、これに当てはめれば、そこそこわかるから。振り回されにくくなるから。信じるべきは、「彼ら」。そして、あなたたち自身です。