お守りというパソコン

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あなたは、神社にお参りしてお札やお守りをいただく場合、どのタイミングでいただきますか?

私は、お参りして、社殿の回りをぐるりと回って周りの空気を感じたりして、それから社務所に行って…という風にしてたんです。ところが、今日たまたま目にしたものに、まず社務所でお札やお守りをいただいて、それを持って拝殿にお参りするのがよい…と 書かれていたんですね。

いや。そんなこと、思いもしなかった。お参りに来たんだから、そっちが先だろうと思っていたんです。…っていうか、子供の頃からそうだったし…。それが「間違ってたの~?!…@@;」という感じ。

ただ、私はお守りをいただいてから、「それではお守りをいただいて帰ります。先ほどのこれこれをよろしくお願いします。ありがとうございました」と、もう一度拝殿にご挨拶させていただいてから帰っていましたから、結局そういう形に「なってしまっていた」ようなのですが…。

そう言えば、と思い出したことがありました。我が家の仏壇にある小さな木造の仏像のことです。それは、特に信心深いわけでもなかった父が、突然買ってきたものなんです(我が家は曹洞宗なので、お釈迦様の像)。その二日後に法要があったので、出先で見つけてなんとなく、「買うか~」とひらめいたのかもしれません。

法要の日、それを目にされたご住職、「これは?」と聞かれました。そこはあなた、信心の「し」くらいしかない父のこと、「これは、どこそこで、これこれこんな風に目にして、新しいのを手に入れました~」とうれしそうにお話したんです。ご住職、「それはそれは、いいものを手に入れられました。それでは、まず開眼して差し上げましょう」と言われます。「……開眼?」(父、ポカン)

仏様に手を会わせるのはお盆とお彼岸だけという、元々宗教心に乏しい父のこと、大切なことに気がついてなかったんです(草葉の陰で、またも言うかと言っているかも)。仏像は、どんなに小さくても仏様。開眼供養(とは言っても、お経をあげていただくだけですが)をしないとただの置物。つまり、仏壇のてっぺんに、お位牌と一緒にお福人形を置いているようなもんだったんですね(座像だけに…)。

まっ、かくいう私も、あんなちっこいのでも開眼しなきゃいけないものなんだと、その時初めて知ったんですけど(^_^;)。「仏作って魂入れず」という諺の元は、まさにこれのことだったんだと気がついた瞬間でした。

お守りの件も、それと同じかもしれないですね。一応お祓いをしていただいてはいるけれど、神様の前にそれを持って行って、「これこれのことを、がんばりますので、かなえてください。お願いします!」とお話するというのは、型どおりの「お守りというパソコン」を、自分に役立つように、新たなソフトなど入れたりもして、カスタマイズしてもらうってことなのかも。そう思うと、何となく理解できますよね。

お守りは、自分の願いを再認識するためのものだと言われる筋もあります。そうなると、どちらでもいいことになりますが、今度は先にいただいてみようかななんて思ったりしたのでした。