『光と風の間(はざま)で』総本家

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砂のお守り~’14 夏の出雲詣で その5~

 
 
 
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 さて、いただきたい「あるもの」というのは、実は砂のお守りなんです。これについては、出かける前に少しだけ読んでいたのですが、タクシーの運転手さんからしっかり話を聞きましたので、その話を要約すると―。
 
・もともとこれは、お社の下にあったもので、地鎮祭などに使うための砂だったこと。
・それでいただいて帰られた方が、交通事故で医師も見放したという方をこの砂で救ったという話が口コミで伝わり、数々の「良き不思議」を起こしてきたということ。
・そのために、これをお守りとしていただけるようにしてくださったということ。
・体調の悪い時や、どこかが痛いとき、そこをこのお守りでさすってやると、良くなったり、病気がお医者様に言われたのより軽くすんだというようなことが(その方にも)実際にあること。
・もちろん、どなたかにお分けしたり、それでさすってあげたりして使ってあげていいもいいということ。
・とてもありがたいお砂で、一生悪いものから守ってくれるお守りになる。だから、一生お守りとして持っていいということ。
・もういいかなと思ったら、あるいは、お守りとして持たなくてもいいという人は、本来の砂の役目どおり、自宅のベランダや庭に撒いてやれば、ずっと家を守ってくれるということ。
・社務所に並んでいるお守りではないので、「砂のお守りをお願いします」と巫女さんに言いなさいということ。
・とても強いエネルギーをもつ良いお守り。せっかくここまで来たんだから、ぜひいただいて帰るといい。ただし、心を込めて神様に向かい合うことの方が大事。
 
―と、こんな内容でした。さすが、大社の敬虔な(?)氏子さん…。
 
そこまで言われたらねぇ…って、実は、ちらっとネットで読んだ時から、もし行けたらという程度の軽い気持ちで、いただいて帰るつもりではあったんですが…^^;。
 
 
日沈宮からくるりと回って社務所に向かうと、とっても印象深い巫女さんがいらっしゃいました。…としか言えないのですが、実際に会われると、なるほどと思われるだろう、とにかく印象の強い方でした(まだいうか…)。
 
「怒られそうで、言うの恐いな」と思いつつ、それでもやっぱりお願いしてそのお守りをいただきます(帰ってからネットで見ると、かなり多くの方がいただかれているみたいですね)。
 
前に、「お守りは空(から)のパソコンのようなもの。それに想いを込めることで初めて自分のお守りになる」というようなことを聞いてから、お守りを携えて改めて拝殿の前に立って、お参りしているんです。なので、今回もそんな風にしたわけです。
 
思うんだけど…、どんな良いものを持っても、本人の想いが伴わないと効果を発揮してくれないんじゃないかしらと思うんです。「誰か」や、そのお守りをいただいた神様を大事に思う気持ちが、その「良き不思議」っていうのを起こしてくれるんじゃないかしらって。そのことを思っても、お守りを携えてお願いするっていうのは、正しいように思います。もちろん、それで終わりじゃなく、それからも大事にして、ですけどね…。
 
そうそう。上の宮の方は、人生変えたいと思うくらいの強い願いに良いとされ、日沈宮は、浄化のおかげがあるそうです。ご参考までに。
 
 
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 お参りを済ませ、工事中の楼門へ向けて横手にある回廊を歩きながら、「いいとこに来たわね~」という母。まだまだ結構元気で、「これで明日、大社さんにお参りできたら、もう言うことはないわ」と、写真を撮っている私を置いて、さっさと先に進んでいきます。そう。す~っかり忘れてたけど、それがいちばんの目的でした。翌日は、大社参りです。