『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

ぺ。ヨンジュン3Dという名のDVD(その2~監督インタビュー概略~」

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ライブ映像を撮るのが専門なので、いつもとは違う種類の仕事だった。今回は、いつも目にしている(観客の)年齢層とは違い、それぞれにいろんな人生を持った人が集まっている。その深さを実感する経験ができた。

ぺ・ヨンジュンという人に対しては、個人的には好きでも嫌いでもなかった。ただ、「何故この人がたくさんの支持を得ているのか」という点については気になっていて、単なるブームではない側面があるのだろうと感じていた。新しい人が出てくれば、そちらに流れていくのがブーム。なのに、そこに形成されたファミリーが、一人の人を支え続けているということに興味があった。

こういう仕事をしていると、側面的ではあるが、その人間性に触れることができる。今回、その(ぺ・ヨンジュンという人の)人間性に触れることができ、支持する人達の気持ちに触れることができたことが、自分には大きかった。

こういう仕事は、複数の目で一人の人を追うようなものなので、その複数の目で観察しているうちに、その人の、人となりというものがわかってくるようになる。当然アラも見えてくる。このアラを落としていくのが、編集という作業。そこでは、好きか嫌いかという区別の中で、嫌いなところを好きな方向に修正していくというテクニックが必要になってくる。

彼については、そういうことは必要なかった。ストレートに、「いいじゃん、この人!」という感じ。「自分が自分が…」というタイプではないということもすぐにわかった。どちらかというと、控えているタイプ。自分以外のものを押しだしていこうとする姿勢に、まず好感を持った。

ただ、たとえいいヤツだからといって、何故、この「歌わない、踊らない一人の人物」のために、これだけの人が集まり、こんなに喜んでいるんだろうというのが、このときはまだ大きな疑問だった。家族と彼との関係というのが、そのときはまだわかってはいなかったからだ。

イベントは、日本とあちらの国の、同一性と相違性を表しつつ、「それでも同じなんだよ」というのをあらわしたイベントだったと思う。それは、人間対人間でいちばん大切なことなのではないか。それを何故この人がやるのかということになるのだが…。

普通に考えれば、ショーアップして、派手にして見せた方が観客は喜ぶんじゃないかと思うのだけれど、そうはせずに、彼なりのやり方で見せ、(自分のアイデンティテイーを)わかってもらいたいんだという彼の切なる想いに気づかされ、そのことに無性に感動した。そのプロデューサー的な視点が、とても高みにあると感じられたからだ。単なる人気者ではなく、もっと高みにある人だ、と。

いちばん感動したのは、手紙のシーンだった。仕掛け人としては、もっと楽な形や場所でできたはずなのに、あえて、生で映し出させてみせたことで、彼の想いがあからさまになった。

綺麗な文字だったが、多分一生懸命練習したんだろうし、いろんな想いがあっただろう中で、「俺、書けるんだぜ(すごいだろう)」じゃない、控えめでありつつ、とても深い想いを感じさせて、とても象徴的だった。その想いと、これだけ多くの人が何故彼を恋い慕っているかが、そのとき、ようやくわかった。

寡黙なようでいて、その実、とても(能動的に前に向かって)努力している人。そのことに、すごく打たれた。「男はこうであらねば」という(見本のような)深い想いが伝わってきた。それゆえに、イベントとしての記録を残すという当初の仕事が終わっても、自分の中に、(これでいいのかという)もやもやが残ってしまった。そして、持っているノウハウを使って、自分の作品にしてみようという気になった。自分の中でのプロモーションビデオ。「彼に対する自分の想い」を表現したいと思った。

その映画の上映の後、トークショーに呼ばれる機会が増えた。そのトークショーで、自分の話を聞いて、しきりに目頭を抑えている人が。人生の大先輩が、自分の話を聞きにきてくれているんだということに感動した。自分のつたない話を聞いて涙を流してくれている。そのことに浄化されたということかもしれない。

自分にも、これまでの人生の中で学んできたことがある。人生で大切なもの。それは、自分のために生きるのではなく、自分以外の別の存在のために生きているということが、本当の幸せではないか。幸せはそこにあるという気がしてきている。

その存在は色々違うだろうが、損得勘定のない「無償の愛」で人を愛せるというすばらしさ。ぺ・ヨンジュンという対象に対して、その境地に立っている人がたくさん目の前に現れたということに、自分は感動した。その対象に対する思いが集まったきれいな景色が、自分の心を綺麗にしてくれたんだと思う。