ぺ・ヨンジュン学(その2)

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もちろん、その人がどういう生き方をしている人であろうが、たとえば俳優さんなら、その演技に感動させてくれればそれでいいわけだし、ミュージシャンなら、ハートで感じる音楽を聞かせてくれればそれでいいわけですが、そこからちょっと突っ込んでしまうのが、この「ペ・ヨンジュン学」を学ぶものの特徴でしょうか(もしかしたら、嫌○と呼ばれる人たちの一部もそうかも)。

そのマスコミのありようは、あちらだけではないと気づかされたこと。これは、これまでのいちばんのショックでした。それまでは、日本のマスコミにここまでの偏りがあるとは思っていなかったからです(時々、政治の記事に?と思うことはありましたが…)。

とんでもない喧騒の中にいたときの彼を、こちらのマスコミがどう扱ったか…。たとえば、「とても際立った特徴を見せるファン」をくりかえし見せることで、そして、「ヨン様」とからかい半分で呼ぶことで、半笑でその名前を口にする人を増やした、ということがありました(ただ、その結果として、それが彼の名前や姿を日本中に印象付けることになったんですよね。どんな田舎のおじいちゃまやおばあちゃまでも、日本の若手の俳優さんの名前はしらなくても、彼の名前と顔はちゃんとわかっていたりしますから。そして、なぜか「結構いいやつ」として認識されてたりする…)。

何よりしっかりわかったのは、そんななかでも、「くそ頑固」にブレずに、自分らしくある。そういう人がいるんだということ。そして、それを信じられるようになったこと。

何故信じられるか。一度は「?」と思うことがあっても、結果として得心する形にして見せてくれるからでしょうか。「ああ。そうだったのか」と、いい意味で納得させられる…というか…。

前に書いたことがありますが、震災の義援金を彼が直接内閣府に送り、そしてその義捐金を物資にすることにこだわった、という話もそうです。あちらにもいくつかの義援金の窓口があるのに、何故いきなりこちらの内閣府に?とか、内閣府の方の疑問のように、何で物資にこだわるのか、などがそのときはわからなくても、その答えは後日思いがけないところからたらされました。

どこの窓口に集まったとしても、集まったお金はすぐには動かないという現実を、今回私たちはしっかりと見せつけられましたよね。それで、「なるほど、それでか」とわかった。彼にはそうなることがわかっていたんだ、ということが…。そして、基本として、「寄付は、すぐに生かされる形でするべきだ」という考えを持っているんだということも、自ずとわかってきた。これまで、そんなような気づきの繰り返しをしてきたように思います。だから、信じられる。妄信からではないんです。

つい最近、地元で行われた某トークショーで、江原啓之さんが、「3.11以来、みんながいろんなことを信じられなくなってしまっているように思える。それを変えるためには、目に見える信じられるものを見せてあげなければいけない」というような話をされたらしいのですが、時間はかかっても、まさにその「目に見えるもの」を見せ続けてくれているのが、このペ・ヨンジュンという人の凄さのように思います。

ちょっと話は変わりますが、「運のいい人」という話を読んだことがあります。「いくつもある選択肢の中から、あの人はいつも必ずいちばんの道を選ぶ」といわれる人には、ひとつの特徴がある。それは、ただ一本の道しか見えていないということ。だから、迷うこともなく、その道を進めるのだ、と…。もしかしたら、「道はまっすぐなのより、曲がってる方が好き」(これも概要)という彼も、そういう類の人なのかもしれません。心にはただ一本の道しか見えていないのかも…。その道を行くためにはどうしたらいいかを逡巡しているとしても。だから、それにこだわるし、こちらはよけいに待たされるのかも…(これは愚痴です…^^;)。

こういうあれこれを経験していると、昨今のナンたらブームというのなんかも、とても異様に思えました。あの「喧騒の時期」も、彼をけなしたり、悪い憶測をする記事だけではなかった。両方あって当たり前…。それが、一方に偏っている。だから、「これはおかしい。何かある」という発想になる。政治や経済についてのニュースでも同じです。同じ方向ばかりが並んでいるときの情報は信用できないと感じるんです。この、いろんな場面で感じる「これは変だ」は、「ペ・ヨンジュン経験」で鍛えられてきた感覚のように思えるんですよね。

「ペ・ヨンジュン学」を学んでいる方、これからどうなっていくのかわからないけど、あなたのその感覚、けっこういろんなところで使えるかもしれませんよ。