『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

アカシックレコード5(未来を変える?)

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 さて、「アカシックレコードはなんの役に立つんだ」のお話の続き。今日は未来編です。どんな風に生きればいいのかの指針となるという過去の情報に対して、未来の情報はどうなんでしょう。結果としては、同じのようです。

 ただ、未来のアカシックレコードを読む方が、現実に活かしやすいかもしれません。たとえば、どんなことについてでも、「Aにしようか。それともBにした方がいいのか」とか迷うことってありますよね? そういうときに、「Aの道を進んだ時の私の一ヵ月後の姿を知りたい」と決めたら、それを読むことができる…。ということは、「ありゃりゃ。Aはだめなのね~」ってことが、あらかじめがわかるということになります。

もちろん、だったらと「Bを選んだ場合の未来の情報」も読んでみたら、これもだめだったということもありえますよね。となれば、AでもBでもない別の道を探すこともできるし、「Bは問題外だけど、Aのここがだめなんだから、ここをこうすればいいんだ(ここを直せばいいんだ)」と、今現在からそこをやり直すこともできるということになります。

 たとえば大きな会議を控えていて(素敵な人とのデートとかでも)、うまく乗り切れるか心配でしょうがない、なんてことにも使えるそうです。「一週間後の会議の(あるいはデートの)様子を知りたい」…なんてことも可能らしいですから。そこで、えらくだめな自分の様子を知ることができたら、どういうことがだめだったかを知ることで、そこを補充して準備をしておけばいいということになりますよね。だいち、まずあわてないでしょうね、それがわかれば…。

 まとめてみると、過去のアカシックレコードが、「本来の自分が望んでいた道を思い出して、もっと楽に生きることができる」というメリットがあるのにたいして、未来のアカシックレコードを読むのは、「これからをよりよく生きるためにはどうしたらいいかを知ることができる」というメリットがある…ということですかね。

 …なんてことを言ってると、ふと疑問がわいてきませんか? アカシックレコードで見られることが事実ならば、未来を変えられるのか?ということです。

 はっきりいってしまえば、変えられると書いてあります。アカシックレコードで読めるのは、「このまま何もしなければ、こうなるよ」という未来であって、完全にこうなるというものではないからだというんです。それなりの手を打てば(自分が動き出せば)、その先は変えられる。だから、古の人たちも使ったアカシックレコードを読むことで、自らの手でよりよい未来を切り開いていってほしいというのが、その本たちが言いたかったことのようなんです。

 実は、それは個人のことに限ったわけではないと本には書かれています。自然環境や、世界的な無益な争いなどについても言えるというんです。ただ、例えそれが読めたとしても、そこで自分が何ができるか…ということになると、話がすこし難しくなってきますよね。

 「大昔から未来までのアカシックレコードと呼ばれる巨大なデータバンクがあって、そこでこんなことを知ったから、これをどうにかしないと…」なんて言っても、「何言ってるんだ、こいつは…」って、ことになったりするかもしれない。いや。そうなる確率の方が高いでしょうからね。

 その本たちには、その辺りのことを何とかしてほしいという背景があるように感じるのですが、生かし方はそれぞれでいいんじゃないかと私は思います。それを読むことができるとすれば、ね…。

 次は、その辺りのお話をしようと思います。