『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

アカシックレコード8(読んでどうするか)

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どうやって、アカシックレコードを読めばいいのか…。それを読む力は誰にでも備わっているもので簡単に読めるのだから、練習やテクニックというのは必要ないと、著者は言います(といいながら、その取っ掛かりにと本には簡単な呼吸法などが書いてありますが、それはもちろんここには書けません…^^;)。

どんな環境、どんな時間、どんな格好でやろうがかまわないけれど、ただひとつだけ意識しなければならないのは、リラックスするということ。「コレができなければ絶対に無利!」ということのようです。

「こうあってほしい」と「期待」していたり、その結果を「恐れて」いたり、「誰にでもできるといわれたって、私にはできるわけがない」と心の底で「思い込んで」いたり、どうしても読まなければと「力んで」しまったり、こういうのならリラックスできるに違いないと「決め付け」て、ヒーリングミュージックを使うとかいうのもよくないそうです(音楽を使う使わないはその人の自由だけれど、使うのなら自分が理屈なくいい気持ちになれるものを使うこと。ハードロックだろうが演歌だろうが、歌詞を聞き込んでしまったりしないものがいいということらしいですよ)。

そうそう。リラックスということに関して面白い話がありました。アカシックレコードが読めるといっても、その人の心持によって読める対象が違うというんです。人間の将来にかかわるようなことは読めないのに、社会情勢について読める…とか、人の恋愛やこれからについては読めるのに、自分のことは読めない…とか、地球の裏側の出来事はびっくりするほどわかるのに、日本のこと(特に自分の身の回りのこと)は全然だめ…とかいう、いわば得意ジャンルや不得意ジャンルがあるのだそうで…。

たぶん、自分に直結することについては、知らず知らずに力んでしまうのでしょう。自分にかかわりがないからこそ、リラックスして読める。そういうことなんでしょうね。何となく理解できますよね。

その読め方もそれそれに違うそうです。映像として見える人もいれば、言葉が聞こえる(感じる)人、関係ある数字が見える人、象形文字のようなものが見える人、雑念のような感じで「感じる」人など、色々あるらしいんですよね。「意味がわからないければ、そのつど『コレは何?』と聞き続ければいい。そうすれば、理解できるところまで持っていってくれる」。著者はそう書いてもいます。

それはとても得がたい情報となってくれるかもしれないと思えますが、著者は更にこう言います。「未来からの情報を知っただけでは、現実とはならない。確定ではなく、もっとも現象として現れやすい未来でしかないのだから」と。

自分として、そうなりたくないと思うような未来を感じたのなら、現時点で変える方向に持っていくこと。うれしいと思えるような未来を読んだのなら、それに向かって行動を起こさなければ、「最終的ないい結果」には結びつかない。自分の中のエネルギーを使って、そちらに向かって行動すること。それが不可欠。結局のところ、これが著者がいちばん言っておきたいことだったのだなと思えました。アカシックレコードを読んだだけでオッケーではないんだよということですね。

私個人としては、アカシックレコードを読んで、それを積極的に利用するという人がいる一方で、読むだけ、という人がいてもいいんじゃないかと思います。もちろん、「そんなもの読めるわけないじゃないか」という考えもあっていいと思うし…。それぞれの人生ですものね…。

ただ、何で自分が今この本に出会ったかということは、その部分を読んでわかった気はししました。数少ない経験ですが、私は「それ」を読んだことがあるようだからです…。読んだようだ…という言い方しかいまだにできませんし、それを活かそうともしていない。その辺なんでしょうね。

この次は、その数少ない経験の中から、こんな風な感じで感じるんですよということを少しお話して、この一連の話を終わりにしたいと思っています。