『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

アカシックレコード9(最終回)

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私がそれを最初に読めた(らしい)のは、自分の身に起きた思いがけない出来事のわけを知りたくて、それに関係するような本を探していた時のことです。そんな時に出会ったのが、この著者の本でした。

最後までその本を読む間もなく、やってみよう!と思ったんです。読めたものがどうでも、今の自分が大きく変わることはないだろうという気楽さもありました。リラックス出来ていた、ということなのでしょう。

そして、それは確かにあっけないほど簡単でした。知りたいと思い、目を閉じた時点で「映像」が見えたからです。それも、その時代、おかれていた状況というのが瞬時にわかる…。そういう感じです。

ですから、著者が本の中で、実は特にテクニックが必要なわけではないと書いているのは、よく理解できます。そして、答えが瞬時に返ってくることや、それは出来事として淡々と感じられるというような意味のことを書いているのも…。

アカシックレコードの読め方を、その中で見た「ある人」を例に話してみますね。その人が見えた途端、その人がいたのは産業革命後のイギリスだと感じました。私はあまり世界史が好きではなかったので、産業革命があった時期とかその内容の大体のことしか理解できていませんし、特に興味があったわけでもありません。それは、イギリスについても同じでした。それなのに、その人を見た途端にそう感じたんですね。

それどころか、彼が少し前にあったその地域の内乱の際、もっと人々が生きやすい環境を創りたいという大望を持って戦ったものの、味方に裏切られ、自分の両親、兄弟を含めて人を信じられなくなっている人だというのも、同時にわかったんです。

街から遠く離れて一人で住んでいた彼は、さめた憤りと寂しさを感じさせる目で街のほうを眺めていました(そういう目の前のことに対して、何の感情もわかないんです。たた、それを見ているだけ…)。

やがて彼は、あることがきっかけになって、もう一度人生をやり直そうと決心します。彼を物心両面で支えていた唯一の友人は、法律関係の人でした(彼自身も、そのジャンルの人だったみたいですが…)、彼の意をくんで、職探しをすることを約束したその友人は、うれしそうに帰っていく彼の後姿を淋しそうな顔で眺めていました。なぜなら、すでに家庭をもっていたその人は、彼を愛していたからです。自分だけの彼が、自らの意思で動き始めた。それは、彼が自分の手元から離れていくということを意味していました。でも、それからすぐ、彼は想いもしない運命をたどることになるんです(実は、後半は別の時に見た光景なのですが、その前半の続きだと、すぐにわかりました)。…なんてドラマみたいなことを、考える間もなく瞬時に「感じた」わけです。

これまでに何度も読もうとしているというわけではないので、はっきりとはいえないのですが、私にはどうも映像で見えるみたいです。本に書いてあることからすると、別の人にとってはまた違う形で読めるのだと思いますが…。やはりそれによって、瞬時にわかるのでしょうね。

もし何か感じたとしても、そこまでに時間がかかるようなら、頭で組み立ててしまっているのではないかと思います。つまりアカシックレコードとは違うということです。だから、時間がかかったり、読めないと感じたら、その時はやめてしまった方がいいと思います。いつかまたきっと機会はあると思いますから。

あまり真剣にならずに、面白がるくらいでちょうどいい。わずかな経験で言えば、それがアカシックレコードを読みやすい態度なのではないかと思います。