『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

アカシックレコード・ヨン(過去を読むメリット)

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 アカシックレコードの話を続けます。

 随分昔から、人が「アカシックレコード」というものを利用した形跡があるようだ、というところまで、この前はお話ししたんですよね。今度は、それを知ったからといって何の役に立つんだ…というお話です。

 アカシックレコードは、とんでもない昔からとんでもない未来までの情報が集まっている場所。ということは、過去・現在・未来の情報を知ることができるということになります。でも、「過去や未来のことを知ったってどうなる。過去は過去だし、未来だって、それが幸せなものならいいけど、最悪だったら生きる気力さえ失ってしまうじゃないか。社会についてもそうだけど、自分のことならもっとそうだ」。そう思うでしょ? そうなんです。見たままで(知ったままで)何もしなければ、そういうことになると書いてありましたよ。

 「だが、それを知るとこんなメリットがある」、と、それらの本は言います。まず過去と現在の二つにわけて考えてみましょうか。今日はまず過去のお話から…。

 あくまでも、アカシックレコードという内容に触れた本を読んだ時に出てくる話なのですが、人は、生まれる前に「生まれてきたら、こんな風に生きよう」というのを決めて生まれてくるというんですね。

 でも、実際生まれてきてみると、その環境によって思うように生きられないこともある(こっちが断然多い)。で、目標を失って逆の方向に走り出す人さえもいる。でも、元々こう生きようと思っているのと違うわけですから、うまくいくわけはない。で、ひどい場合は、七転八倒の苦しみを味わうことになるというんです。

 ここで、あきらめてそのまま生きるとか、宗教や占いに頼って方向を決めるとかいうのもあるでしょうが、生まれる前の、その「こんな風に生きよう」を思い出し、その方向にそってやり直すことができれば、案外すんなりといくものだよと、それらの本たちはいう訳です。

 本を読んでいるうちに、「ああ、そういえば…」、と思うことがありました。考えに考えてこうしようと思うことがうまくいかず(というか、散々な結果に終わり)、半分遊びのように楽しんでやったことが広がりを見せ、これまでの自分ではありえないことが簡単に実現できてしまう…なんてことが、時々あるってことに思い至ったんです。そういうこと、あなたにもありませんか?

 そういうことが度重なってくると、「何が正しいのか」というのはわからないなりに、「うまくいくのはそれが正しい方向だからかも。だから、労せずして進めるのかもしれないな」と思うようになったんです。

 「生まれる前にこう生きようと決めて生まれてきている」という話が正しいとすれば、うまくいくことは「自分がこう生きようと考えてきた方向」なのかもしれないと思うこともできます(だから、しんどいことでも、楽しくてしょうがなかったのかしら)。でも、そんなに簡単にうまくいくもんだろうか、と思ったりもするんですよね、正直に言うと…。

 さて、私のことはともかく、過去のアカシックレコードを読めば、自分がどんな風に生きようと考えて生まれてきたかを知ることができる。つまり、今の人生がうまくいっていないなら、「大体私は何をやりたくて生まれてきたんだっけ?」ということを知ることで、行くべき方向を知ることができるということになりますよね。これが、過去を知る唯一無二のメリットなのではないでしょうか。