『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

秋の京都(祈りの道)

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 紅葉を第一の目的にするのをやめた母と私。京都駅の駅南にある泉涌寺に行こうということになりました。ずっと前に、雪をかぶった山門からの写真を見て、その伽藍を眼下に見る形の珍しさや美しさに惹かれて、いつかは行きたいと思っていたんです。

 わりと京都駅から近いですから、その気になればチャンスはあったのですが、最寄のバス停から少し歩くことと、時間によってはバスの便が少ないこと(ついでに行くには、時間の計算ができないでしょ?)、さらに、すぐにでもとは思っていなかったこととで、これまで行った事がなかったんです。

 今年はじめからの母の膝痛が完治していないこともあって、タクシーを使うことにしました。京都駅からだとそうかかりませんから、料金もお安いですからね~^^;。

 タクシーの運転手さんは、かなり饒舌な人でした。聞いてもいないのに俳優さんを載せたときの話などもたくさんしてくれたんですが、時にはその人たちの不愉快な行動とか物言いとか、そういうことに出くわしたこともあっただろうに、そういうことは一切口にしないという、素敵なところもある人でした。

 泉湧寺は、なるほどね~と思う、いい感じのとこでしたよ。バス停からの道も雰囲気のいい静かな道。山門からの伽藍を見に雪の時期に出かけるのもよさそうですが、若葉か青葉の美しい頃に、今度はバスで行って、その道をゆっくり歩きたい。もう一度行きたいなと思いました。大門からの眺めもやっぱり素敵です。美しいです。偶然にも、母の実家の宗派と同じだったことも、母にはうれしかったようです。

 観光バスも来るには来るのですが、天龍寺ほどのことはありません。これもありがたかった。祈りの場所として、観光バスのコースに入っているという程度です。私達が行っていた時は、茨城のことば(多分)があふれれていましたね。

 ただ、傍らは鳥辺野(「とりべの」。私はどういうわけか、「とりのべ」と地名を勘違いして覚えていて、かなり混乱しました)と呼ばれるところ。と~んと昔の皇室関係のお墓も多いらしいですが、昔は風葬・鳥葬の場所だったところですから、そのほうの勘の強い方には、ちょっときついところかもしれませんが。

 ここには、大門からの眺めだけでなく、おもしろい特徴があります。ご本尊がなんと3体もあるんです。阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来。実は一体メンテナンスでお出かけだったのですが、どの方だか忘れてしまいました…^^;。いずれにしても、3体はすごいですよね。

 泉涌寺といえば、そのご本尊さんたちより、有名な仏さまがいらっしゃることをご存知かもしれません。美人祈願、縁結び祈願で有名な、楊貴妃観音さんです。なぜか、ご本尊さん方とは違って、駐車場から入ってすぐ左側のお堂にいらっしゃるんですよね。この観音様に願いするとしっかり美人になれるそうで…^^;。おそばで拝見すると、なかなかにくっきりばっちりの派手なお顔。好みのタイプの方ではなかったですけど、ええ~。ええ~。しっかりお参りしてきましたよ…^^v。

 そうそう。さっきのタクシーの運転手さんが教えてくれた、取って置きの話がありました。泉涌寺の大門をでて、少し道を戻ったところに戒光寺というお寺があります。泉涌寺の塔頭(末寺など)のひとつなのですが、ここのお堂に「丈六さん」(一般に、大きい仏像を丈六というらしい)がいらっしゃいます。とんでもなく大きい(台座とあわせて10メートルくらい)のお釈迦様です。その大きさにへ~と見上げるほどですが、タクシーの運転手さんがそこに行けと教えてくれたのは、その立派なお姿をみなさいということではないのです。

 「いいですか? しっかり覚えときなさいよ。丈六さんの前に立ったら、しっかりとその目を見なあかんよ。丈六さんとちゃんと目のおうた人は、びっくりするくらいのパワーをもらえますねん。えらいせんせは笑わはるかもしれへんけど、こういうのは理屈やあらへん。わしは何人もそういう人を見てきてますんや」

 本気で願うということ、本気で信じるということは、そういうことを起こすのかもしれません。これ、覚えておいて、もし泉涌寺に来られることがあったら、一度試してみるのもいいかもしれませんよ。

 帰り道に、丈六さんに逢いに行った私。実は、隣の人に遠慮して、しっかりじっくりとは目をあわせられなかったんです…ーー;。丈六さ~ん。見捨てずにお願いします~。



(画像は、いまいちの撮り方^^;の、大門から臨む泉涌寺の伽藍)