『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

時の常識

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いつものように、本屋さんでであった本に、かの国と北の今がわかるという本がありました。書かれたのは、元は新聞記者で今は大学教授をしてらっしゃる方で、かの国の人は好きだが、その国を「よいしょ」するつもりもなければ、貶めるつもりもないというスタンスの方です。北についても同じ。あるがままに書くし、思ったとおりに言うという考えを貫いていらっしゃるようです。そのあたり、前身がジャーナリストという背景もあるのかもしれません。

 その中には、時々「思わぬ出来事」のある北の動向を、日本としてはそう心配することもないんだな~ということがわかる、目からうろこ的な話も出てきて、はっとさせられたりもしました(興味のある方に一言。石油がなければ戦争はできない。どうですか? これほどわかりやすい説明はないでしょ?)。

 その本の中に、1970年代~1980年代の日本では、かの国に行かないことが、「良心的な学者やジャーナリストとされた(軍事独裁政権を嫌ったため)」という一節が出てきます。1975年当時の日本では、かの国への留学さえ白い目で見られたとも書かれています。それを読んだときに、はっとしたんですよね。

 前にお話したことがあったかと思いますが、私の父の学生時代のお友達に、大学と大学院で中○思想を教えてらした先生がいらっしゃるんですね。父がなくなってから、時々メールでやり取りをさせていただいているのですが、大学教授というより、普通に気のいいおじさんという感じ。時々はメールで伝えたことを再び尋ねてこられるとか言うおとぼけぶりも発揮されたりするのですが…、このS先生。「韓国に行ったら、あそこに行きなさい」とか、「あれを食べるといい」とか、「今度は冬に行ってみるといい」とか、メールに必ず書いてこられるんです。

 その背景は前に聞いていました。孔子の思想に惹かれ、それを尊敬し、○国思想を生涯の仕事としようと決めた先生には、○国やかの国へのたびたびの留学経験があり、そこで感じてきたことを前に話して下さっていたんです。

 孔子の国で、その思想とあまりにかけ離れた目の前の現状に愕然としたこと(「普通じゃないからこそ、孔子の思想が高く評価され、語られ続けるのだと後で気がついた」と笑ってらっしゃいましたが)、そして、「大陸からの文化は、中○の影響だけで来たものではない。韓半島、韓国を経て来ているということがあまりに軽んじられている」と、穏やかな顔がほんの一瞬だけ厳しくなった。そのときはたいして意識もしていなかったはずの、その言葉と表情を、突然思い出したんです。

 中○思想を学ぶ留学で、その国よりも、かの国で出会った人たちに惹かれ、そこで学んだことが多かったという先生。「どうしても君においしいものを食べさせたい」という、かの国の先生につれられて街をさまよったこと、たったひとことの「さよなら」を言うために、体調の悪い中、ホテルのロビーで延々と待っていてくださった方のことなど、ほんとに楽しそうに話してくださった、そのあとでのことでした。

 そのときの一瞬の厳しい顔のわけが、本のその一節で判った気がしました。もちろん、私がそう思ったというだけですが、先生が留学を繰り返していらした時期、それは見事にそのその時期に重なっていたからです。国立大学でそのやり方や考えを貫くことは、そう生易しいことではなかったはずです。

 見かけによらず、反骨の男(ひと)なのかもしれません。思わず、「あの狸オヤジ…」とつぶやきました(おいおい…)。






 今日は一日雨でした。これは3年ほど前の我が家での画像。今年はまだ紅葉していませんが、もうすく見られるかな~^^。