怒涛の約6日間弱が過ぎました(爆)。ちょっとさみしいけれど、平常モードに戻りましたか?
さて、この間、頭が石のよう…などと言っていた私ですが、暑さもあってか、興味のないものを受け付けなくなっていただけのようで、シンガーソングライターのK君の本、『幸せを数える。』というのを一気読みしました。ヨン時間で…^^。
とても読みやすい文体でしたし、頭が許可するというのはこういうことか…というほどその内容が、頭に入ってくる、入ってくる…。
実は、先日興味を持って中古で(^^;)購入した彼のCDが、とってもよかったんですね。最初のアルバムからからずっと聞いてみたいと思える、いいアーティスト見つけた~!と思ったのと同時に、ふっと「いい意味での違和感」を感じたんです。たとえこなれた日本語でも、海外の人でここまでの心深くで感じさせてくれる歌を聞いたことがないように思えたからです。そんな風に思っていた矢先、本屋さんでこの本に出会ったんですね。
彼の筆による(ちょっと古い表現ですね~^^;)その文章は、とてもこなれていて、読みやすいものでした。漢字を交えてちゃんと書くことを覚えていなかったという彼は、兵役中、日本からの手紙に日本語で返事を書きたくて、その手紙たちから書きぬいて、自分なりの日本語辞典を作り、あいた時間に日本語を学んだということでしたが、ちょっとこなれすぎている気がして、本の最初と終わりに、「だれそれ訳」を探してしまったくらい…、違和感がなくて、語彙も豊富な文章でした。
内容としては、641日の兵役を終えてきた彼が、兵役についた日のことから始まって、日本でのアーティスト活動のことや、兵役でのあれこれ、そして日本に戻ってきてからの音楽活動への想いや家族についての心情などがつづられている本でした。
それをレジに持って行った私にとっては、「かの国の兵役とはどういうものか」ということや、それについて、「かの国の人はどういう考えを持っているのか」。そして、「それを経験しなかったというのはどういう想いを抱えることになるんだろう」…なんてことを少しでも知ることができたらいいなという想いもあったんですよね(やっぱり、最後は「あの子」につながってしまう思考回路…^^;)。
正直な話、これまでかの国の兵役についてはいい話を聞いていませんでした。そして、行っていない人たちへの差別的な扱いがあるということについても、思うことはありました。でも、「中には、心を病んだり、病気になって途中で去っていく人もある」とかいうことも書かれているこの本で感じたのは、「やっぱり、最後は(それぞれの)人なんだよね」という当たり前のことでした。
任務の中での不条理や戸惑うあれこれに、日記を書いていた手帳に「カタカナ」でそのことに対する罵声を書いた(万一誰かに読まれても、理解されないから)という話や、一人の人間として同僚や上官とふれあい、とってもポジティブに、そして誠実にあれこれを消化していく聡明な姿に、感動さえ覚えました。はっとされられるような、また、「そうそう。そうだよね」って言いたくなるような、へたな教訓本よりよっぽど心に残る、素敵な言葉もたくさんありましたよ。これについてはまた改めて。
そして、その本の中には、最初に書いた疑問の答えがあったんです。
日本のレコード会社のオーディションに受かり、まったく日本語が話せない状態でやってきた彼は、日本の音楽業界で一からやってきたんですねぇ。何箇所かに出てくるんですが、まとめるとこんなような話ことが書いてありました。
自分は、社会人としての人格形成の時を日本すごした。だから、日本に来ている同じくらいの年齢の人でも、あちらで社会人としての人格形成の時を過ごした人とは、分かり合えないことがある。そして、シンガーソングライターだからこそ(曲が別の人だったり、共作があったりもするようですが)のことでしょう。詞はもとから日本語で書いたし、いつからか日本人の感じ方で作っていたような気がするということ。さらに、白と黒しかないのがあちら。日本にはグレーがある。あいまいにやりすごすということではなく、どちらかに決めつけないグレーという考え方が自分は好きだ、とも。
だからだったんですかね。その歌が、心深くで感じられたのは…。もちろん相性もあるでしょう。理屈なく好きな声や、惹かれる歌を歌ってくれると感じられる人は、人それぞれに違うわけですから…。それでも、歌詞としての日本語ではなく、心を表そうという想いで覚えた日本語に、同じ色の気持ちを感じたのかもしれません。それこそ、グレーの気持ちをね…。
やっぱり声は正直です。そう。声と言えば…。一声、声を聴きたかったな…(やっぱりそこに帰るか…ーー;)。