ほんとで行こうよ

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kyonennoyosino



このところとみに思うんだけど、人はなぜ誰かと誰か(何かと何か)を比較しようとするんだろう。たとえば、今の新ウイルスの件でも、どこそこでは感染者が何人。どこそこでは何人…。それぞれのところで生活習慣は違うし、ひどい場合(?)は、沖合で停泊したままだった他国籍の貨客船の乗客まで日本の感染者にカウントするようなめちゃくちゃな理屈の数字まで引き合いに出して…。だったら、例年のインフルエンザの数字だって出して良かったはずなのに(もっと多いんだから)。

 それが一般の人の話なら「ああ、そう思いますか…」でおわるから気にもしない。でも、報道でそれをやられたら、人はついつい正しいことだと思ってしまう。「あれこれが不足」もそう。トイレットペーパーの話もね、国内にパルプの工場があるのを見知っている人間からすると、「なくならないよ」と思えるけど、まるでよそだけでつくられているように報道されてしまうと、わざと不安に陥れて混乱させ、「ほら。行儀がいいといわれてる日本でも、結局こんなもんなのさ」と海外にアピールするのが目的なんじゃないかと裏読みさえしてしまう(誰のために?)。

 そういうのだけじゃなく、アーティストの、「ここでの初コンサートは誰それ、観客数は」…。これも嘘が多い(それも力のある組織へすり寄った形で)。「あの人は、(昔の)誰それさんよりレコードのセールスが…(どうのこうの…)」。

 時代や条件の違う人や数字を比較しようとする方がおかしいんだよね。同じ今という時代でも、たとえば、アルバムの発表方法も、CDという「もの」ではなく、配信でアルバム(音源)を買うという形もあるし、いろんな人のいろんな曲を流す、そのシステムの利用料を払う…というのもある。多様化しているから、CDの売り上げだけをどうのこうの言える時代では無くなってしまっていますよね。

 テレビの視聴率も同じ。ネットでのCMが地上波を超えた(金額で)という今の時代では、地上波の視聴率など話題にしても大して意味がないということになる(民間放送はね)。このままでは、もっとそうなるかも。

 比較なんてしなくていいんじゃない? どうせ、ちゃんとはできないんだから。「誰か」を巻きこむための作戦だとしても、そんなことは続かないと思う。今の日本ではね。

 嘘や曲解した数字の情報を報道するより、今必要な対策や、みんなが…というのは無理としても、多くの人が面白いとか楽しいと思えるようなことを流したらいいのに…なんて思ったりするのです。さらに、それこそが、地上波を救う道ではないか、と、偉そうに言って見たりして…。

 話は地全然変わるけど、今年の吉野の桜はどんななのかなぁ。