『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

朔日参り…ともいうらしい~その1~

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snndoyamagiwa


 この前の記事で「みそか詣で」に行くつもりと言いながら、結局30日には行きませんでした。言うだけ言っといて申し訳ない!

 実は当日、午前中は家にいないといけない用事があることを忘れていたんです(ドジですよね~)。その時刻がわからなかったのでしばらく待ち、それが終わるのを待って速攻で出かけるつもりが、何とその後けっこうな雨模様…ということで、「これは、今日は来るなと言われてるんだな」と判断して、30日のお参りをあきらめたんです。

 でね、せっかく縁起を担いで「みそか詣で」をしようとしてたんだから、どうせ行くならと、「お参りするのにいい日」はいつなのかと探してみました。


 それについて調べてみると、昔から言われているのは、「1日(朔日とも言う)参り」と「15日参り」(月参りと言われる)だとわかりました。昔の暦では、新月を1日、満月を15日と決めていて、それを特別な日と考えていたんだそうです。だから、その特別な日にお参りすると特別によい御利益がいただけると信じたということなんでしょうね。


 ちょっと話はずれますが、その月の一番最初の日(○月1日)のことを、「ついたち」って言いますよね? 何で「ついたち」って言うんだろうとずっと思っていたんだけど、新しい月の最初の日ー月が立つ日ーと言うことで、「月立ち」が変化して「ついたち」となったという話を今回拾って、「そういうことか!」。長年の疑問の答えが思いがけず見つかりました。


 さて、↑で1日と15日の月参りをすると「特別な御利益をいただけると信じたということなんでしょうね」と書きましたが、実は実際によいご縁(御利益)を頂かれた方は少なからずあるようです。それを続ける方は、さらさらに。この「信じる」っていうのが、大事なんでしょうね。

 その時に頭に入れておくこととしては、その1日のお参りのときには、自分の願いを伝えるのではなく、先月無事に過ごすことができたことの感謝を伝えるのがお約束なんだそうです。そうすることで、「目をかけていただける」ようになるんだとか。でも、それは毎月通わなきゃ効果はないでしょうね。なじみになると、親しみもわく。それは神様もおなじだということなのでしょう。


 あとは、いつもと同じ。住所と名前を名乗ることも。そうそう。お賽銭は、なぜか「300円」がいいと言うのもありました。これには、ちょっと笑った。でも、OK! 張り込みますよ(普段いくら入れてたんだ)。

 もとより、みそか詣でに行ったら、今年無事で生きられていることのお礼を伝えよう思っていたので、感謝だけを伝えるということに何だ問題はありません。1日に行くことにしました。

みそか詣で

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 「みそか詣で」って聞かれたことがありますか?

 大みそかという言葉は使うけれど、「みそか」というのはあまり聞きなれないですよね。月末のことをいうらしいです。30日か31日(2月だけは28日か29日だけど)のことですね。その最後の最後だから、大みそかなのかな。

 月末に、「(今月も?)お見守りいただいてありがとうございました」と、家から近い(毎月でも通える距離の)神社にお礼を言いに行くというのが、みそか詣で。そのみそか詣でをすると、いろんないいことが起こる―とか。

 そんな話を聞いたのはずいぶん前のことになりますが、ずっと行けずにいます。そのみそか詣でのことを、今日ふっと思い出しました。今日は29日。…ということは、明日はちょうど9月のみそかです。明日行ってみるか!と思いたちました(お天気さえよければ、ですけどね。実は、明日はちょっと怪しい予報です)。

 お正月以外に、月の初めにお参りに行くという方はあると思うけど、みそかにはあまり行かれませんよね? 一度行ってみませんか? 

 

 

埃かぶりのシンデレラ

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お元気でお過ごしですか? 今は、それがいちばんなことですよね。

 各地の観光地は、少しずつにぎわいだしているそうですが、私はコロナ自粛のころから馬力がかかった片づけという名の「力仕事」にさらに馬力がかかり、簡単にすますつもりだった物置の掃除を全面的にやり出して、ここ数日何十年分の埃をかぶっています。

 できるところはしていたものの、見ない振りして通り過ぎていたところも突然やる気になったというか、取りあえず見やすく、使いやすくはしつつあります。人間、やる気になったら頑張れるものですね。…って、物置に何にもなくなったりしてね(おいおい)。

 マスコミにさんざんかき混ぜられたコロナ騒ぎですが、聞くところによると、今年インフルエンザとコロナウイルスで亡くなった方を合わせても、昨年のインフルエンザで亡くなった方の数よりもかなり少ないそうですね。持病のある年長者を家族に持っていると、やっぱり敏感にならざるを得ないところはあるんだけど、そういうことを聞くと救われる想いになります。
  
 なんだかんだ言われるけど、よその国のあれこれを見ると、マスク・手洗い・うがいするって、やっぱり結果として身を助けるってことですよね。これからは、これがもっと習慣になるのかもしれません。

 コロナ騒ぎは、いろんな災難を引き起こしました。今も大変な想いをしている方も多くありますよね。でも、私たちは新しい方法を見出したりもして、必ず乗り切ることができる。他の国々よりはるかに安全な国の中で生き、そう思えること。そういう国にしてくれた先人達に感謝です。

 とりあえず、合間合間の片づけが終わったら、ドラッグストアで市販のを買うのはもちろんだけど、マスクをいくつか作るかな~、好きな生地を探して。しんどいことも、楽しまなきゃね。



※シンデレラって、灰かぶり姫…という意味でしたよね?

超久々のコミック

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このところ、力仕事をしてました。とはいっても、物置を整理したくて、去年の秋から放りっぱなしになって積み上げられていた段ボールを、再生資源の収集に出せるように潰して束ねたり(ようやく、怪我をした右腕にまともに力を入れる勇気?が出来たので)、どう考えてもいらないだろうと思う、母が溜め込んだスーパーの袋なんかを処分したり、古い食器を保存ケースに移して移動させたりしただけで、大した力仕事でもないんですけどね。

それでも、久しぶりの片付けの爽快さを味わえました。食器棚なんかも片付けたし、年末の片付けや掃除が少し減らせたかも。

そんな時、実家に来た幼なじみに誘われて、そこまでお昼を食べに出掛けたんですね。あれこれの予防法がとられた店内(というか店外というか、テラス)であれこれ話した中に、久しぶに読んだコミックが泣けたという話が。

その時に、「だいぶ前のなんだけど、多分好きだと思う。読んでみて」と勧められた本が届きました。『蛍火の杜へ』。あらすじはわざと見ていません。実は、私は子供の頃からあまりコミックを読んでないんですよね。何か、ワクワクです。

桃の櫛

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 数日過ぎましたが、9月4日は「櫛の日」だったそうです(確かに「く・し」ですね)。

 古来日本では、櫛は生活で使う物というより、「厄除け」の役割を担っていたんだそうです。神話では、スサノオノミコト(これ以降スサノオさんと略す)が、ヤマタノオロチの生け贄にされそうになっていた「クシナダヒメ」さんを、櫛の姿に変えて自分の髪に挿しオロチと戦った…とも言われているそうですが、そうなると櫛は、厄をよけるというより供に戦う存在のように思えますね(それもいいな)。

 出雲一の宮といわれる(島根の方の)熊野大社には、主祭神であり後に旦那さんとなるスサノオさん(ここでの名前は違う)とともに摂社にクシナダヒメさんが祀られているんですが、櫛形のお守りがあるんですよね。これはそのお話にちなんだものなんでしょうか。

 実は、数年前にこれをいただいてきています。この櫛(プラスティック製)には、よくいう1年という期限はなく、お返しするとかの必要もなく、一生守っていただけるんだそうですが、上のように、櫛が「厄除け」の役割を果たしてくれるんだとしたら、私が去年したけがも、櫛のおかげで最悪の状態を免れられていたということになるんでしょうか。

 さて、話は少し変わりますが、実は昨日、「浮気性で落ち着かない旦那様(だか恋人だか)」をしっかりつなぎ留めておくためには、彼に「桃の木の櫛」を買ってもらうといい…なんてのを偶然見かけたんですね。それを読んで、「そうそう。櫛には厄除けの効果があるんだもんね」と思ったんです。別の女性は、彼女にとっては「厄」そのものでしょうから。でも、彼に買わせろというのは、どういうことだろう。「ちょろちちょろしません」という誓約のような感じになるのかな。

 その話のついでに思ったのは、「で、何で桃の木?」。そのことについてはそこでは触れられていなかったけど、もしかしたら神話に出てくる神様一の愛妻家かと思えるスサノオさん(生涯イナダヒメだけを妻とした)がイナダヒメさんを櫛にかえて髪に挿して戦ったというその櫛は、桃の木のものだったと言われているという話を見つけたので、桃の木の櫛をというのは、それに関係してるんでしょうか。

 ところで、あなたは桃の木の櫛を手にされたことはありますか? 私は、実際に見たことも触れたこともないんです。「どんな肌合いなんだろう。値段は?」とか思ってちょっと調べてみると、日本製でもシンプルなものだと千円台で買えるんですねぇ。

 椿油なんかで時々手入れすれば長く使えるそうだし、使われている方が、「香りが良くて、この櫛を通すことで髪がふんわりと艶やかに整いうから、髪エステとしても使える」と書かれていました。

 お高くはないし(ダイ○ーにもあるらしい。100円以上のもあるから、いくらかは不明だけど)、どんな感じか、一度使ってみるのもいいかもと思いました。かさばらないから、持ち歩き用にしてもいいし。

 こう思ったのは、櫛の日の宣伝効果としては、思うつぼってやつですか? 

 

合えものはお好き?

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 昨夜(~今朝)、訳の分からない夢を延々と見ました。オムニバス映画のような感じでそれぞれ設定は違うし、寝た気がしませんでした。

 上で、それぞれ設定は違うと書いたんだけど、実は、それぞれに共通する「登場物」があったんですね。それは、「ほうれん草と炒り卵の和え物」。何だそれ…でしょ? とにかく、カラーで4kくらいのクリアさの夢でした(特に、ほうれん草の緑に炒り卵の黄色が映えてきれいでした)。

 誰にいただいたのかはわからないんだけど、ほうれん草をいただいたんです。ええ、夢でね。で、ゆでて炒り卵と和えて食べたんですね。いと美味だ~♪と思った。これがすべての始まりでした。

 最初のではまず、台風はどう進んでいくんだろうと、前にネットの天気予報を見ていたからなのか、台風で避難をしないといけないかも…という状況になりました。一番に思ったのは、「とにかく、(その)和え物だけは持っていかないと!」。いやいやいや。もっと大事で、持って行かないと行けないものがあるでしょ」と、夢のこっち側でつっこみたくなる世界です。

 それから、オムニバスの夢が台風から離れても、「棚に(その)和え物を飾らないと…」だの、「(その)和え物をバッグに入れないと…」だのという結果になる理解不能な夢ばかり。最後の方では、何をするにもどこに行くにも、「それ」を持って動いている始末…。とにかく、ず~っと、「ほうれん草と炒り卵の和え物」が出ずっぱりなんです。だから今でも、ありありとその姿を思い描けるくらいです。


 …………何で?


 夢だから脈絡もなくて当も当たり前なんだろうけど、一晩「ほうれん草と炒り卵の和え物」を見続けたからか、???が並びます。

 とりあえず、作って食べてみるか。

 

 

ん? 父さんどうした…?

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昨夜、お風呂に入っていた時のこと。母や祖母が、私は子供の頃(まだ、普通には話すことができない頃)に、どこで聴いたのか(多分テレビでしょうけど)、童謡の『里の秋』の最初のところばかりくりかえし歌っていたと話していたのをふっと思いだしたんです。今でも、自分で勝手に作り上げているその風景が好きなので、つい、「し~ずかぁなぁし~ずかな~♪」と浴槽で歌い始めたんですね。

 「お~せど~にぃ木の実の~、お~ちる~よ~はぁ~♪ あ~あ、かあさんと~た~だふ~たぁり~………」

 そこで、これまで一度も思ったことのない疑問が―。

 ―父さんどうした?

 「ああ、母さんとただ二人」ですから、父さんはそこにはいなかったんですよね。もう寝てた? いや、父さんが(何ならついでに、祖父ちゃん、祖母ちゃんも)寝ついた夜中に、母と子が二人でこっそり栗の実煮てるっていうのは、なかなかにつらい家庭の事情がありそうです。まっ、こっそりそんなことをしても、匂いで気づかれてしまいますかね。とすれば、最初からか途中からなのか、シングルマザーで頑張っていたお母さんと子供さんだったのか?

 多分、その後の歌詞になんかヒントがあるだろうと、お風呂を上がった後ネットで調べてみたんですね。その歌詞は、こんな風でした。



   『里の秋』
              斎藤信夫作詞・海沼実作曲

      静かな静かな 里の秋
      お背戸に木の実の 落ちる夜は
      ああ 母さんとただ二人
      栗の実 煮てます いろりばた

      明るい明るい 星の空
      鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
      ああ 父さんのあの笑顔
      栗の実 食べては 思い出す

      さよならさよなら 椰子(やし)の島
      お舟にゆられて 帰られる
      ああ 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
      今夜も 母さんと 祈ります




 驚きました。私が覚えていたのは一番だけだったので、とてものどかな里の秋の夜の風景だと思いこんでいたんです。ところがその後、特に3番にこんな歌詞が続いていたなんて。これ、南方の戦地から帰ってくるお父さんを待っている家族の歌だったんですね。知らなかった……。それで、母さんと二人だったんだ。で、祖父ちゃんは? 祖母ちゃんは? やっぱり寝てた?(しつこい…)。

 調べて見るとこの歌は、心身とも疲れ果て、傷ついて帰還して来られた兵隊さんたちを励ますために放送されていたラジオ番組のためにつくられた曲なんだそうです。もっと詳しい制作時の話も書いてあったけど、私にはそこまでで十分でした。やっぱりそうだ…です。

 童謡って、やさしくきれいなだけじゃなく、そういう社会情勢(?)について触れたのがあるんですねぇ。初めて知りました。帰って来られた人たちは、どんな想いでこの歌を聴かれたんでしょう。