『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

目からウロコの100均話(私にとって…だけどね)

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gogatunonohara


 数日、冷蔵庫の中の整理をしていました。なるべく賞味期限内に使おうと心がけていながら、よくドアポケットの片隅に忘れてしまっているものが見つかったりするんで、買い物のついでに、ポケットの仕切りなどを100均で買ってこようと思い、ネットであれこれ見ていた時のことです。

 検索ででてきたものの中に、台所用品などとはちょっと系統のちがうものがありました。化粧品の話です。何気なくポチっとしてみることに。

 はなしはちょっとずれますが、100均の化粧水とか使ってみられたこと、ありますか? 私は、ぬるま湯洗顔&家ではほったらかしの時もあるくらいなので、使ったことどころか、深く考えたこともなかったんだけど、漠然と、「あんまり使えないもの」という感覚を持っていたんですね。そう。使いもしない癖に…。

 使えない=使うだけの効果がないもの…という意味なんだけど、何気なく開いてみたそこに、それがひっくり返るというか、「あ~。そうか。そういうことだ!」ということが書いてあったんです。



 日本において売られている化粧品はすべて、国の基準を満たしたものである。



 100均の化粧水だって、そうなんですよね。化粧水として必要なものは、ちゃんと基準を満たしている。これ、いい意味出のショックでした。ただ、「(この化粧水に入っている)○〇があなたの肌を生き生きと輝かせます」とかいうCMのフレーズにあるような、別の言い方をすれば、「化粧水としての用途を満たしているもの」以外の、「特別なもの」が加えられていないだけのこと。

 そういう「特別なもの」は、肌にとって強い刺激を与えてしまうものもありますよね。つまり、100均の化粧水は、そういうのが入ってない分肌に優しいとも言えるわけですよね。その上、何せ100均ですから惜しみなく使えます。さらにその上に、あなた。日本製ですよ。どうだ!

 (…どうだって言われても…。)

 さらに別の道にそれてみると、100均の化粧水の中でも、用途によっていろんなのがあるようで、よ~くご存知の方が何度もリピートされる人気の物というのもあるらしい。そういうのがわからなくても、何せ100均ですから、使い比べてみて自分に合うのをさがすのに、お財布にも優しいですよね。

 それに、たとえばパックするのに、同じく100均でそれ用のマスク(耳に描けるタイプもあるらしいけど、最近必要なマスクではありません。女性はわかりますよね?)を買って、その化粧水を浸してパックしたりすることも当然できる。マスクは10個単位(30個ぐらいのもあるよう)で買えるわけですから、200円もしないで一回パックができる…と言うことになります。それも、お肌に優しい成分で。それがいいと思うかどうかは、その人がどこまでの効果を求めるのか‥によるんだろうけど、やって見る価値はありそうです。などほどね~でした。

 100均に置かれている化粧水は、日本の基準をちゃんと見たしているということ。それも、高価な「別成分」が入っていない分、肌にもやさしい。「使える子」だったんですね~。目からウロコの話でした。´
 

10パーセント~消費税じゃないよ~

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kamidananofuukei



 お盆頃、YouTubeで面白い話を聞きました。神仏の話なのですが、仏様にお供えものをすると、そのものの味は10%落ち(仏様が喜んでいただかれたとも言い換えられる)、ほんのわずかな時間でも神棚にあげると、そのものを普通にいただくより、(そのパワーを授けてくださった分)味も力も10パーセント上がるというんです。

 ただし、それはどちらが良い悪いとかいう問題ではなく、それぞれの特性によるものだということだったんですが、「(仏様のものをいただいても問題はないのだが)どうせお下がりをいただくなら、パワーをいただけるし味も良い、神様のお下がりをいただくとよりいいよ」というお話でした。

 その方はお仲間の方たちと、神棚にご飯をお供えしてから食べてみるという実験(?)をされたたそうで、その後実際にご飯をいただいてみると、ご飯が甘く感じられたという話をしてらっしゃいました。

 こういうのの解釈はいろいろありますが、その話を聞いていて、以前友達から聞いた話をふっと思い出したんですね。それは、彼女の妹さんが、「仏壇にお供えしたものは、どれもまちがいなく、(お供えしてないものより)味が落ちてる」と話していたという話です。妹さんはさらに、「お供えしてないものと比べてみれば、お姉ちゃんだってすぐにわかるわよ」と言ってたそうで…。

 「で、食べ比べてみたの?」と聞いてみたら、「そんなことしてないわよ。どうせ気のせいなんだから」と友達は言っていたんですけど、今回聞いた話からすると、妹さん、気のせいではなかったのかもしれないなと思ったんですね。

 私も一回食べ比べてみようかなぁ…。…っていう前に、仏壇にあげたお供えを神棚にあげたら…元に戻…。いや、さすがにそれはただの罰当たりか…。

3パターンで実験…もだめ? じゃ神棚だけにしとくか…。えっ? それもだめ?

キタキタキタ~♪

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kanenomotonarumono



タイトルは、Youtubeでよくみているインコ君が時々叫ぶ言葉です。「いきなりどうした? あまりの暑さにおかしくなったか?」と思われたかたもあったとか、なかったとか…。

 実は、先日財布供養をお願いした金持神社(かもちじんじゃ)から、「財布供養しましたよ~」ってしるしのようなものとして、お財布にいれとくと金運に恵まれるっていう「金の素」なるものが送られてきたんです。

 今年3回目の財布供養(年4回行われるらしいです)は、先月の25日でしたから、ひと月近くたってこれが届いたことになります。これが送られてくるというのは見ていたんだけど、とんと送られてこない。何かの手違いで忘れられちゃったのかなぁと思っていたんです。何より財布をお焚き上げしていただくというのがいちばんの目的だったので、それでよしとするか…と(社務所の方、疑ってごめんなさい)。

 この神社の名前は、地名。「かねもち」しゃなく、「かもち」と読みます。この地域が「鋼」の産地だった(これは、「かね」とも読まれた)ことからの知名のようなのですが、近年、ここにお参りすると宝くじなどが当たりやすいとかいうことで有名になったよう。

 ちょっと財布供養をお願いしに行ってみるかと思っていたところのコロナ騒ぎで、結局行くのはやめて財布を送らせていただいたんですね。光に透かしてみると、中に鋼のようなものが見えます(だから、鋼だって最初から書いてあるし)。

 早速財布に入れました。いいことあるかな~。

わらちゃんのいる場所~そして、最後に思うこと~

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waratiyannoirubasyo


 前の記事からの続きです。

 さて、清盛さんの人間性に少しだけふれたところで、唐突に「わらちゃん話」に戻ります。

 実は、「この木の所にわらちゃんがいる」と言ってらっしゃる方の中には、若一王子の像を見つけた清盛さんの大出世について、わらちゃんが「(清盛さんのとこに)来ていた」という事が関係してたんじゃないかという方もあるんですね。

 ただし、万が一今、「座敷わらしあっせん所」(?)でもあるかのような、その木のとこにわらちゃんがいるとしても、「清盛さんの時代からわらちゃんがそこにいたとしたら」という条件がつくだろうとは思うんですけどね。

 まっ、定かな理由はともかく、清盛さんの出世は尋常なスピードではなかった。それは確かなようです。そして、とんでもない繁栄。さらに、その症状から今で言うインフルエンザか髄膜炎かマラリアか…と思われる病気で彼が亡くなった後、転がり落ちるように訪れた平家全体の没落も、語り草になるほど「普通じゃなかった」。

 その様子は、わらちゃんが住みついて、そして、去ってから起こると言われる現象とそっくりではあるんですよね。もちろんここにも、ほんとにわらちゃんがいるとすれば、という注釈がつくわけですが。

 「ここ、つまんな~い。他行こ~♪」のひとことでわらちゃん(たち?)に去られ、栄華を極めた平家があっという間に没落しちゃった…となれば、もしかしたら、わらちゃんに来てもらうということは、それほどにリスキーというか、こわ~い事なのかもしれません。そうならない為には、どうしたら良かったんだろう。

 わらちゃんについてここまで知ってきたことは、わらちゃんは「子供の精霊」で、楽しいことが大好きで、つまんなくなったら出て行ってしまうということでしたよね。そのあと、とんでもない没落が待っている、と。

 それがイヤなら、ずっと居てもらえるように、わらちゃんが楽しいと思える空間であり続けること。そして、自分も楽しみ続けること。ずっと笑顔で居ること…。あれっ。それって、わらちゃん関係なくても、理想じゃない?

 生きてく間には、イヤな想いやつらい想いをすることは山ほどありますよね。でも、そこで考えを替えて笑顔であり続けることができれば、光は見えてくるし、想いもしなかった素敵な道が開けてくるかもしれない。

 そうか!!(閃き)。清盛さんって、そうできる人だったのかも! だから、わらちゃんは彼の元にやってきて、楽しんで、栄えさせて、彼が亡くなると去っていった。ただそれだけのこと…。そう思うと、あんまり好きじゃなかった人が勝手に好ましく思えてきます。平清盛という人は、案外いいやつだったのかも。やっぱり、一度はストラップ見てみないとね(おいおい)。

 お花畑脳と言われるかもしれないけど、もしかしたら、つまんなくなったらさっといなくなって、家人を奈落の下に突き落すかもしれない座敷わらし(けして、それが目的ではない)は、ほんとにいるのかもしれない。もしそうだとしたら、「普通じゃないスピード」で出世街道を駈けのぼってくる、わらちゃん推薦の「ニューフェイス」がそのうち現れるかもしれないですね。それもよしっ!です。願わくば、その人が没落することなく、良き未来を築いていってくれますように。

わらちゃんのいる場所~ほんとうの清盛さんとは…~

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kiyonorizou


  昨日の記事からの続きです。

 それでは、Wikipediaもどきで、清盛さんのプロフィールを少し紐解いていきましょう。

 平清盛。1118年2月10日生まれ(誕生日が私と一緒! まっ、旧暦だろうけど)。同年生まれに、歌人である西行がいる。

 今の三重県津市生まれ(京都市だという説もある)。平家の頭領であった平忠盛の息子というのが定説だが、長男が跡取りとなる時代に長男でない清盛がなぜか後継者に指名されたこと、そして、異例の出世スピードから、実父は忠盛を重用していた白河院で、母は白河院の寵愛を受けていた祇園女御という女性(あるいは、その妹)ではないかという説もある(「説もある」ばっかりだな)。


 ※それと関連してですが、幼少の清盛は夜泣きがひどかっそうで、白河院は、「夜泣きがひどくても、大事に育ててほしい」という内容の歌を忠盛に送っているそうな。自分の子供でもないはずなのにね~。ふ~ん。


 1129年。12歳で従五位下という誰もがあこがれるという地位に就く。これには、実父かと噂される人の影響も考えられるが、そういうこととは関係なく、父忠盛が頭領である平家が、武力はもちろん、経済的にも朝廷を支えており、当時横行していた海賊の征伐などの働きに応えるため、朝廷側が次の頭領に指名されている清盛を出世させた…とも考えられる。はっきりわかっていることは、彼が異例の出世を遂げているということである。

 1159年に起きた平治の乱後、武士として初めての太政大臣に任命される(この一年前に、例の像を見つけたんでしたね)。そして、平家の絶頂期に。そのあと、清盛だけでなく平家の多くの者たちも朝廷に重用され、平家にあらずんば…というあの言葉のような状態に至る。同時に、物語ではあることないこと、清盛さんの悪行を伝えられることになる。

 その後の、世の中によく伝えられていることをば~っと端折って、1181年、清盛、熱病にて死去。


【清盛の性質】

①人を動かす絶大な力を持っていた
 ただし、強引に自分の思う方に全体を動かして行くというのではなく、なぜか(平家の)ほとんどが彼にくっついてくるという形になった。

②予想外に、人を思いやるタイプ?
・清盛は、そのころの高い地位にあった者の多くのように、自分より目下の者や使用人を見下したり罵倒したりすることは、少なくとも相手が傷つくような場所ではけしてしなかった。

・その時代は、船の行き来のために湾を開いたりするとき、「人柱」をたてるのが常識だったが、清盛はそれをせず、経石を海に沈めることに換えた(人柱を使うことをよしとしなかったということですかね)。

・そして、よく知られている頼朝や義経の助命のこと
 その時代は、敵となった者の男子はすべて処刑が一般的。世に伝えられているように、二人の母親が「自分が側室になるからと助命を嘆願した」とか、彼の継母である人に、「夫の面影に似ている頼朝をどうぞ助けて」と言われたとかいう背景があったとしても、革新的な政策をとりつつも、清盛は平家で唯一敵となったオジを、泣く泣く処刑している。そういう「筋」を通した人でもある(想像だけど、もしかしたら、子供たちを助けるにあたっては、「敵であった人」への特別な想いがあったのかもしれないと思ったりして…)。

・物事を合理的に考え、これまで誰もやったことのないことでも始められる人だった
 これまでの政策から歩を進め、日宋貿易を推進させ、貨幣経済を日本で最初に導入し発展させたのも、天皇にいちばんちかい場所で政治に参加する太政大臣に武士として初めて就き、そのあとの武士に道を開いたのも清盛。


 これは私の感じ方ですが、上の顔色をうかがい、事なきように動いているばかりだったとも言われるお公家さんたちから見たら、革新的に動いて上に上がっていく彼は脅威だったろうし、疎ましかったりねたましかったりしたんじゃないかと思うんですよね(にっくったらしい奴って感じ?)。

 平家を倒して実権を握った源氏にとっても、それは同じ。敗者である平家の、それも清盛の功績などは、残してはおきたくなかったかも。

 多分「平家物語」は、どちらかによる「物語」だったのだろうと思えます。そうなると、彼、清盛さんがド悪人のように描かれているのは当たり前。善人だったとは言わないけど、これまで清盛という人から受けていたイメージは、やっぱり間違っていたのかもしれませんね(若一神社に行ったら、一度はストラップを見てみようかな…おいおい)。

 そしてこのお話は、やっと次で終わりになります。

わらちゃんのいる場所~イメージを作るのは?~

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kiyomorizou


清盛さんについて…というより、平家について書かれているものでいちばん有名なものといえば、「平家物語」でしょうか。私が見たことのあるドラマというのも、たぶんこの「平家物語」がベースになっていると思います。

 そういうドラマは大抵、清盛さんは「悪人」として扱われていました。ただ、その元になっている「平家物語」というのが、敗者である平家、特に清盛さんをおとしめるためのものだという反面があるとしたら、持ってしまっているイメージをちょっと疑ってみる必要があるのかもしれません。

 最近思うこと。いや、しばらく前から思っていることだけど、そういう刷り込みって恐いです。誰かの思うつぼに陥ってしまうから。

 話は少し変わりますが、テレビでの再放送かなにかで見たのかなぁ。「ああ野麦峠」という映画もそうでした。とても貧乏な家の娘さんが、(私からすると)奴隷に買われていくような(?)ひどい扱いをされながら、女工として苦悩して生きていく(あるいは、病気でなくなる人もあった?)物語。女工さんというのは、とんでもなく悲惨な職業だったんだと、子供ながらに感じたんですね。

 ところが、亡くなった祖母に聞いた話では印象は変わってきます。多分物語はそのころ話の話だと思うんですが、祖母がお嫁に来るより前の頃の娘さんは、たとえお金持ちの娘さんでも、上の学校へという人はわずか。女の子には家事やお稽古ごとを遣らせるという考え方が普通だったそうな。

 お金持ちでない家の女の子は働く。家の仕事を手伝ったり、農家の娘さんだと田畑に出て働く。そうそう。商家に奉公にあがるとか、「赤トンボ」という童謡にもあるように、「ねえや」となって、お金持ちのお宅に子守などで奉公する…とかいうのもありますよね。

 ところが、女工さんになると話は違ってきます。仕事をすると、けっこういいお給料がいただけたそうな。それどころか、やめるとき(大抵結婚するとき)には、立派な花嫁道具を仕立ててもらって帰ったものだと言うんです(退職金のようなもの?)。

 「理不尽にひどく怒鳴られたり叩かれたりいうことは多少はあったかもしれないが(私が聞いたので、そう答えてくれました)、自分はそういうことを聞いたことはない(祖母は、家のことをしていました)。むしろ、働く身の上としては、女工は自慢の職業だったと思う」とさえ言いました。

 全部が全部そんなだったわけではないかもしれない。でも、そういう仕事を、悲惨で悲しい仕事だと思いこんでしまっていたのは、ああいう映画の影響があったからです。作り手が、自分が言いたいことを強調したかったからか、そういうイメージを観客にあえて擦り込みたかったのかはわからないけど、偏向性がある映画だったのだと今は思っています。そして、エンターテイメントの中にも、こういうことは多々あるものだ…と、理解できてもいます。

 さて、清盛さんについては?

わらちゃんのいる場所~そして、清盛さんもいた場所~

 座敷わらしの事を検索していて見つけた、京都の若一(にゃくいち)神社は、平清盛さんの別宅のあった場所。そして、ご祭神は清盛さんによって地中から救い出された(?)若一王子という神様(若王子とも言うらしい)。

 この若一王子の像を探し出した清盛さんが、ここに祀って一年後に武士としてはじめての太政大臣となったことから、この若一神社は開運出世の御利益があると言われるようになった。これが、ここまで書いてきたことです。

 延命長寿の「寿命社」、芸能・音楽などに御利益があるという「弁財天社」、醸造満足の「松尾社」などの末社を持つ若一神社には、清盛さんお手植えと言われる鳥居の前の楠ー座敷わらし数名がいると言われる楠ーと、もう一本、境内にある楠との2本のご神木があり、社殿を建立したときからご神殿に祀られている水は、今も銘水として知られている水だそう。そうそう。こちらにある「衣冠束帯」の清盛像は珍しいらしいですよ。…とまぁ、神社内の説明としてはこんなとこでしょうか。何せ、まだ実際には行ったことがないし…っと、すごく薄味の説明です。

 ところで、この神社に関する画像を見ていると、こちらのお守りなどの縁起物はとても充実しているよう。その中には、なんと清盛さんのストラップまであるようなんですね。「これは、清盛ファンの人に人気がある」…と画像に書き添えてありました。


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kiyomorisanzou

 「………清盛ファン?」。はっきり言って、私には清盛さんに対してあまり良いイメージがなかったので、「わざわざストラップを作るほど、ファンがいるの?」と、思ったんですね。

 ただ、そう言えば…です。歴史書に書かれている歴史なんて、勝者の作り上げた「物語」でしかない。公平に書かれたものなど、きっとないでしょう。特に、勝者を美化する以上に敗者についてはひどく歪曲されているだろうという想像はつきます。清盛さんについても、それは同じでしょう。

 で、さらに思ったんですね。これまで考えてみたこともなかったけれど、清盛さんってどういう人だったんだろうって。一応学校では学んだはずなのに、その「作られた人物像」さえ覚えてない。ただドラマなんかで見た、その漠然とした悪い印象だけ…。私の母方は、平家の落人らしいのにね。薄情なものです。