前の記事からの続きです。
さて、清盛さんの人間性に少しだけふれたところで、唐突に「わらちゃん話」に戻ります。
実は、「この木の所にわらちゃんがいる」と言ってらっしゃる方の中には、若一王子の像を見つけた清盛さんの大出世について、わらちゃんが「(清盛さんのとこに)来ていた」という事が関係してたんじゃないかという方もあるんですね。
ただし、万が一今、「座敷わらしあっせん所」(?)でもあるかのような、その木のとこにわらちゃんがいるとしても、「清盛さんの時代からわらちゃんがそこにいたとしたら」という条件がつくだろうとは思うんですけどね。
まっ、定かな理由はともかく、清盛さんの出世は尋常なスピードではなかった。それは確かなようです。そして、とんでもない繁栄。さらに、その症状から今で言うインフルエンザか髄膜炎かマラリアか…と思われる病気で彼が亡くなった後、転がり落ちるように訪れた平家全体の没落も、語り草になるほど「普通じゃなかった」。
その様子は、わらちゃんが住みついて、そして、去ってから起こると言われる現象とそっくりではあるんですよね。もちろんここにも、ほんとにわらちゃんがいるとすれば、という注釈がつくわけですが。
「ここ、つまんな~い。他行こ~♪」のひとことでわらちゃん(たち?)に去られ、栄華を極めた平家があっという間に没落しちゃった…となれば、もしかしたら、わらちゃんに来てもらうということは、それほどにリスキーというか、こわ~い事なのかもしれません。そうならない為には、どうしたら良かったんだろう。
わらちゃんについてここまで知ってきたことは、わらちゃんは「子供の精霊」で、楽しいことが大好きで、つまんなくなったら出て行ってしまうということでしたよね。そのあと、とんでもない没落が待っている、と。
それがイヤなら、ずっと居てもらえるように、わらちゃんが楽しいと思える空間であり続けること。そして、自分も楽しみ続けること。ずっと笑顔で居ること…。あれっ。それって、わらちゃん関係なくても、理想じゃない?
生きてく間には、イヤな想いやつらい想いをすることは山ほどありますよね。でも、そこで考えを替えて笑顔であり続けることができれば、光は見えてくるし、想いもしなかった素敵な道が開けてくるかもしれない。
そうか!!(閃き)。清盛さんって、そうできる人だったのかも! だから、わらちゃんは彼の元にやってきて、楽しんで、栄えさせて、彼が亡くなると去っていった。ただそれだけのこと…。そう思うと、あんまり好きじゃなかった人が勝手に好ましく思えてきます。平清盛という人は、案外いいやつだったのかも。やっぱり、一度はストラップ見てみないとね(おいおい)。
お花畑脳と言われるかもしれないけど、もしかしたら、つまんなくなったらさっといなくなって、家人を奈落の下に突き落すかもしれない座敷わらし(けして、それが目的ではない)は、ほんとにいるのかもしれない。もしそうだとしたら、「普通じゃないスピード」で出世街道を駈けのぼってくる、わらちゃん推薦の「ニューフェイス」がそのうち現れるかもしれないですね。それもよしっ!です。願わくば、その人が没落することなく、良き未来を築いていってくれますように。