座敷わらしの事を検索していて見つけた、京都の若一(にゃくいち)神社は、平清盛さんの別宅のあった場所。そして、ご祭神は清盛さんによって地中から救い出された(?)若一王子という神様(若王子とも言うらしい)。
この若一王子の像を探し出した清盛さんが、ここに祀って一年後に武士としてはじめての太政大臣となったことから、この若一神社は開運出世の御利益があると言われるようになった。これが、ここまで書いてきたことです。
延命長寿の「寿命社」、芸能・音楽などに御利益があるという「弁財天社」、醸造満足の「松尾社」などの末社を持つ若一神社には、清盛さんお手植えと言われる鳥居の前の楠ー座敷わらし数名がいると言われる楠ーと、もう一本、境内にある楠との2本のご神木があり、社殿を建立したときからご神殿に祀られている水は、今も銘水として知られている水だそう。そうそう。こちらにある「衣冠束帯」の清盛像は珍しいらしいですよ。…とまぁ、神社内の説明としてはこんなとこでしょうか。何せ、まだ実際には行ったことがないし…っと、すごく薄味の説明です。
ところで、この神社に関する画像を見ていると、こちらのお守りなどの縁起物はとても充実しているよう。その中には、なんと清盛さんのストラップまであるようなんですね。「これは、清盛ファンの人に人気がある」…と画像に書き添えてありました。
「………清盛ファン?」。はっきり言って、私には清盛さんに対してあまり良いイメージがなかったので、「わざわざストラップを作るほど、ファンがいるの?」と、思ったんですね。
ただ、そう言えば…です。歴史書に書かれている歴史なんて、勝者の作り上げた「物語」でしかない。公平に書かれたものなど、きっとないでしょう。特に、勝者を美化する以上に敗者についてはひどく歪曲されているだろうという想像はつきます。清盛さんについても、それは同じでしょう。
で、さらに思ったんですね。これまで考えてみたこともなかったけれど、清盛さんってどういう人だったんだろうって。一応学校では学んだはずなのに、その「作られた人物像」さえ覚えてない。ただドラマなんかで見た、その漠然とした悪い印象だけ…。私の母方は、平家の落人らしいのにね。薄情なものです。