『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

’16 あれこれ騒動の神在祭 その1~迷子はどこだ~

 
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 少し遅れた昨年の出雲大社の神在祭でのお話です。

 いきなりですが、この写真、昨日の青空のとえらい違いでしょ? 昨日お話したとおり、行きと帰りの時は曇っていても、着いたら晴れるんです。で、これは帰りに道路沿いの鳥居のところまで戻って来たときのもの。そこまで来たら、このお天気具合です。で、実はここから数枚は、帰りに撮ったものなんですけどね…。

 わが家では、神在祭に出かけることはないことではありません。だから、普段より人の数が多いことはわかっていたんですが、昨年は、そして、その日は、ちょっと違う特徴がありました。あちこちで語られていたことですが、御多分に漏れず(?)大社にも、海外からの個人やツアーの団体さんがたくさん来てらっしゃったんです(ツアーは、K国とC国の方でしたね)。

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 これは、参道に入って少しのところにある、「祓社(はらいのやしろ)」。ここにお参りして自分を清めてから、拝殿の方に向かうというのが正式なやり方です。実は、その作法どおりにここにお参りされる方は、遷宮前よりはずいぶん増えましたが、まだまだ多くはありません。ある程度の年齢以上の、それも初めての参拝客の方たちからしたら、取り立ててどうってことのない末社にしか見えないでしょうから、しょうのないことです。

 けれど、地元の方や、ここでのしきたりに詳しい方、そして、あれこれ調べ、神在祭をめざして(人によっては、仕事まで休んで)やってくる、比較的若い方たちにとっては、ここは外せないところなんです。私と母が行った時でいえば、30人弱の方たちが列を作っていらっしゃいました。30人弱は、個人の方だけではなく、そして、日本の方だけでもなくて、私たちが並んでいる間にも、次々と来られるわけですから、さらに人は増えていきます。

 ここに至るには数段の石段を上がっていきます。 ツアーによっては、「これだけの人数ですから、上に上がって一々お参りしていたんでは時間がかかってしょうがありません。そこ(石段の下)に2列でズラーっと並んでください。そこでパンパンとやってくださいね。効果は変わりませんから…」なんて言うガイドさんもいたりして、ちゃんとお参りしてから本殿に向かいたい人、下でお参りしたことにしてさっさと先に行きたい人でごった返していたんです。その上、風俗習慣の違うツアー客の方たちが多くなだれ込んでこられるので、もう混乱状態。

 母は早々にあきらめました。「お参りしてきて。そこで待ってるから」と言い、列を離れました。まっ、術後の定期検診に通ってる身ですから、当然といえば当然ですよね。私が列に並び、お参りをし、石段を下りてみたら、母がいないんです。次から次へと来られる参拝客をかき分けてみたんですが、見つかりません。

 実は、母がその時にお参りをあきらめたのには、別の理由もありました。鼻が異様に効く母は、外国の方が、あまり得意ではないんです(体臭が気になるそうで)。あんまりごった返してるから、それが気になり少しずつ先に進んでいるのかもしれないと勝手に思いました。で、本殿のある先に進んだんですね。

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   参道は広いですから、参道に人が広がってしまえば、見かけはこの倍くらいの人数だったんですけどね。

 ところが、探せないまま境内前の鳥居のところまで行っちゃったんです。振り返ってみたんだけど、やっぱりいない。鳥居のところや手水舎のところもごった返していたんで、もしかしたら、境内に入って、たとえば拝殿の前あたりに行って待ってるんじゃないかと思い、それでも作法通りに手水を遣ってから中に入り、境内をぐるっと回ってみたんだけど、やっぱりいない

 しばらく鳥居のところで待ったものの、また来た道を戻り、母がいたところまで行ってみました。見つかりません…。やっぱり先に行ったかもと、再び拝殿へ。また境内をまわり、さらにしばらく境内に入る鳥居のところでまた待ってみたんですが、姿は見えません。調子は良かったものの、検診帰りの母です。とにかく早く探さなければと思いました。思わず拝殿で、「母を探せますように!」とお願いしました。

 携帯(電話)に電話をかければいいのにと、思った方もありますよね? 実は、来るときにこんなやり取りがあったんです。「あんたがいるんだから、私は持って行かなくてもいいよね」。母は自分の携帯(電話)を家に置いてきてたんですね。この期に及んで、「何で携帯を持ってきてもらわなかったんだろう」と悔やみました。よくよく考えてみれば、地元でもない場所で、母が臨機応変に動くわけはないんですよね。ここで待つといえば、その場で待っているのが母でした。

 慌ててまた来た道を戻ります。そして、やっと見つけました。遠くまで見通そうと思ったのでしょうか。最初の場所の近くの参道の真ん中、「神様の道」のあたりで、きょろきょろしている母を。駆け寄って、どこに行っていたのか聞いたんですが、「あんたこそ!」。一度トイレには行ったけど、人を避けたりしてずっとここにいた…と言うじゃないですか…。多分、私がそこまで戻った時にいなかったのは、一度はトイレ、もう一度は、背が低めの母なので、団体さんにまぎれてしまっていた…かだったのでしょう。かなり長く広い参道ですから、来た道を三往復。時間にして1時間が経過していました。おまけに境内も3回歩いていたので、うちに帰って、バッグに放り込んであった歩数計を見たら、その日は17000歩ぐらい歩いていました。

 意外だったのは、母も私も相当なストレス(私は運動量もかなり)だったはずなのに、案外疲れていなかったこと…。やっぱり、「神様の場所」には、特別な力が働いているのかもしれません。


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                   参道のわきにあった、名残のつわぶきの花