『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

今日はさらに曇り空(追記あり)

イメージ 1
 
 これは去年の9月の画像なんですが、残念ながらこちらは、夜になってしっかり出てきた雲のおかげで、今日は時々お月様が顔を出す…ってくらいの空模様になりました。

 ただ、何でだか残念という気持ちがないんです。昨日十分楽しんだから、今日見られたらめっけもん…という気持ちがどこかにあったのかもしれませんね。黒い雲の間から光がこぼれ、そのあと登場するお月様のまばゆいこと…昨日より強いけど快い風が吹き、秋の虫の声が聞こえるなかで、時々現れては消えるお月様を眺めている…。これだけで満足でした。

 空を見上げながら、前に話したことのある、深草少将の、小野小町宅への「百夜通い(ももよがよい)」をまた思いました。こんな夜なら、たとえ、「百夜続けて通ってきてくれないと色よい返事はできない」と言われていても、その人の面影を追いながら、ゆっくりした、それでいて軽い足取りで訪ねていける…。そう思えるような夜です。

 ああ、そういえば(…って、全然そう言えばじゃないんだけど)。家に戻ったら母が、「マツコ×マツコロイド(?)」とかいうのを見てました。マツコ・デラックスさんが、彼女(?)そっくりのアンドロイドとあれこれ会話したり、実験したりする番組だったのかな。その中で、「アンドロイドには限界はないけど、人間には限界がある。いつかアンドロイドが人間の限界を越えたとき、人間は…」(正確に覚えていなくて、けっこうアバウトですが)、そんなような話題が出てきたんですね。

 たとえば、「あの子」。人は齢を重ねていくごとに、変わっていきます。でも、「あの子」が年をとろうが、ハゲようが、お相撲さんみたいになろうが、たとえば、初来日の時の「「あの子」と決めれば、アンドロイドでそれを再現できるわけです。その「あの子」は、年を取りません。たぶん演技力や考えもそのまま(と信じるままに作れる)。学習すれば、そのころ以上のこともできるかもしれない。今だって、そのまま再現…とまではいかないけど、ある程度のレベルでつくれるところまで来ているみたい(かなり近いけど、動きにしろ目線にしろ、やはり人間とは違ってまだぎこちない)。それがもっと進化すれば、それがいいことか悪いことかは別として、ずっとその時のままの「あの子もどき」がいることになるということですよね。

 それが、誰が見ても、人間と見間違うくらいになったら…。いや。それどころか、倫理の問題があるので、その道のりは簡単ではないでしょうが、そのうちコピーの人間だってつくれたりして…。そんなことになったら…って次々考えていたら、気が遠くなってきました…。いやぁ。すごい時代になりましたね。



【追記】
0時40分。行く雲がずいぶん薄くなり、きれいな月がずっと見えています