『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

宜保さんの守護霊のお話 その1

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 少し前に、宜保愛子さんの守護霊の本を手に入れた…と書きました。はるか20年以上前の著作なので、内容をかいつまんでお話しすることは、この頃出版されている本以上に問題ないと思うので、少し書いてみたいと思います。ただし、正直な話、頭も体も「絶賛暑さボケ中」の私には、その行きつ戻りつする著作内容にしっかりと食いついて、「これには、こういう特徴があるのね」と後先ないようにうまく一つにまとめて行くことができそうにないので、時期も合うし、私の頭を整理するためにも、少しずつに分けて書いてみようと思います。で、今回は、その一回目です。

 さて、まず質問です。守護霊って、どういう存在だと思います? 文字通り「生きている私たちを守ってくれる存在」…ですよね。宜保さんによると、その守護霊をもっているのは、生きている人のうち40%ほど。あとの人にはいないんだそうです。また、守護霊を持っている人でも、一人に対し1体…というわけではなく、そのそれそれの得意ジャンルによって、入れ替わる場合もあるので、一人でで4体くらい「霊的ボディガード」を連れている人もあるんだそうです(よほど好かれてますよね、その人)。そして、それぞれの力にも差があるそうです。

 その守護霊いるいない、「霊的ボディガード」の複数付きか1体付きかの差は何かといえば、そりゃあなた、お金…ではなく、その人の心根…ということなんですが、最初に語られているのは、その守護霊になる存在についてです。

 守護霊になってくれるのは、大抵は、三代さかのぼるあたりまでの祖先(曽祖父母あたりまでの血縁の続く人)。ただし、生前の縁が深かった人…というわけでもない。あちらに行ってからの「彼ら」は、生きているときよりもっと本音で、そして自由に行動するようになるので、その範疇(三代さかのぼるまで)の人で、本人にとっては思いがけない人や、一度も会ったことがない人が守護霊になってくれている場合もあるんだそうです。

 彼らが一番喜ぶのは、そして、この人だったら守護霊になってもいい…と思ってくれるのは、真摯な想い、心からの想いで合掌してくれる人。それから、その宗教とは関係なく、宜保さんによると、「水とお線香をあげてほしい」と、彼らが言っているので、まずそうしてあげてほしいんだそうです。

驚いたのは、彼らと今を生きる人との関係は、何と「ギブ&テイク」だということ。そうしてくれる人を守ってあげる…という風なんだそうですよ(で、気が合う人ね)。なので、お水とお線香をあげ、真摯に手を合わせる習慣こそが、彼らと自分とを結ぶ鍵になるんだそうです。

 そうそう。そうしても、そして、気が合ったとしても、「霊的ボディガード」になってくれない場合があります。それは、死後四十九日までの場合。彼らは、その四十九日の間に、家からつかず離れずしながら、あちらで過ごす準備をするそうなんですね(あちらへ行くための、この世との断捨離でしょうか)。つまり、人のことどころではないんです。あちらに行ってからも、いちばんの新人だから、すぐには力を発揮することはできないでしょうしね。

 もうひとつ、「霊的ボディガード」になってくれる場合の例外があります。それは、まったく血縁がない人である場合です。その方が「亡くなるまでにどうしても果たしたくて果たせなかった夢」を、必死にかなえようとしている人を応援してくれる場合があるそうなんですね。そういう「霊的ボディガード」さんに力を貸してほしい時にも、やはりしなくてはいけないのは、雑念を捨ててまっすぐに合掌すること。真摯に祈ること。いつの時も、求められているのは、やはりこれのようです。

 お仏壇でなくてもいいんです。水とお線香をあげて、真摯に合掌。それが唯一のようです。





(画像は、去年の花火)