宜保さんの守護霊のお話 ファイナル




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その3の、あまり関わりたくない霊の話の続きになりますが、お金にまつわって人を傷つけたり貶めたり騙したり…という人には、決まって良くない霊がてんこ盛りにぶら下がっているそうです。「振り込め詐欺」なんてする人は、その典型かもしれませんね。こういう人は、一度は栄えることはあっても、決して長続きはせず、実を結ぶこともないそうです。もちろん、その果てに待っているものはわかりますよね。被害にあった人達の苦しみや悲しみが、その上にさらに乗っかるわけですから。


 そうだ。話は少しずれますが、宜保さんによると、根っからの悪霊に支配されている人の顔は、すぐわかるんだそうです。日本人には比較的少ないそうですが、「過去の歴史の中で苦汁をなめてきた民族には、何故かそういう顔を持った人が多いのが不思議だ」…と書いてらっしゃいました。このあたり、「わからない」私には、そうなんですか~という感じですが、うわさとして流れている宜保さんにまつわる話の一つは、(ほんとだとすれば)それに関するものが(あるいは、それ以上のものが)宜保さんに見えてしまったのかもしれないな…と思ったお話ではありました。


 さて、話を戻します。守護霊さんに関する宜保さんのこの本でのお話は、いえ、おそらく他の本でもそうだと思いますが、簡単に言えば、守護霊さんに守ってもらったり、より良く生きていくためには、ご先祖さんに、お水とお線香をお供えして、心から合掌すること…ということに尽きると思います。


 ただし、一度触れましたが、それは宗教的な意味でそう言うのではなく、お線香とお水を…というのは、あくまでも「あちら側の方たち」がそう言われるから…。あちらは、それ以上のことをこうしてくれと望んでいるわけではない。それどころか、宗教に凝り固まり、度が過ぎてしまうと、願いと逆の結果になりかねないと書かれています。かと言って、まったく宗教的なことをする意味がないわけでもない。宗教を信じれば運が良くなるということは「絶対にない」けれど、悪い方に傾きやすい心をセーブしたりする、精神修養のためには役立つと思うと続けられています。じゃ、程よい程度はどのへんなんだという感じですが、私がやれるとすれば、お線香とお水、そして心からの合掌…ですね。


 実は、私の旧友や知人に、自ら命を絶った方があるんです。あちらへ行くための準備をされるという四十九日間、その方たちへのお水とお線香をお供えさせていただこうと決め、これを始めているんです。これが、私のできる精一杯だなぁ。


 では、そう言うのは別として、一般的なこと以外にするとすれば、何をすればいいのか…。その一つとして書かれていたのは、亡くなった方がこよなく愛されたものを使ってあげること。特に、女性にとっては宝石。たとえば、亡くなった方が男性で、好きで良く使っていらしたカフスボタンを指輪にするとか、亡くなった方が女性なら、やはり好きで使ってらした帯留めをペンダントにするとか…、指輪なら指輪で、自分が使いやすい好きな形にアレンジしてでもいいから、それを身に着けてあげると、とても喜ばれるんだそうです。


 ただし、人間とアクセサリーの間にも相性があり、さらに、好きで使っていたものにはその人の想いがこもっているので、手に取ってみて、着ける気がしない物は避けた方がいいんだそうですよ。というか、手にとって、どこか気分が良くない感じがするものは、きっぱりと廃棄処分にすべきだと書かれています。


 それは、どなたかが残されたものや、宝石などの話にはとどまりません。嫌だと感じるものは、避けて身に着けないようにしたり、そばに置かないようにするほうがいいとも書かれています。断捨離などで、それを手に持って、いい気分になれるかどうか一つ一つ確かめながら「残すもの」と「処分するもの」を分別する…というのは、そのお話に通じるものを感じますよね。目安は、「なんとなく嫌な気分」。そう感じるなら、それを避ける(処分する)…ということ。


 そうそう。特定の方に守護霊になってほしいと思うなら、日常的にその人のことを思い出すべき。終わりちかくで再度出てくる内容です。霊は、思い出してくれる人に対して、より守ってあげようと思う気持ちになるんだそうです。自宅の仏壇にお線香をあげる時も、ターゲットを定めて供養を。その供養を継続してほしい。そんな風に書かれています。これを始めるには、お盆はいい機会かもしれませんね。


 この本を読んでいくにしたがって、私にも思い出した人がありました。父…というのもないではないのですが、私が思い出したのは、以前ここで書いたことがあった人です。母の実家に泊まった時、翌朝目覚めると、目の前に小さな「母方の祖母」が浮かんでいた(と見えた)という話…。以前から来てくださっている方の中には、覚えてらっしゃる方があるでしょうか。


 私はそういうことに、そう敏感な方ではないのですが、その時は、浅黄の着物に絵羽織を着て、空に座って笑みを浮かべている祖母がはっきり見えました。怖くもなかったし…。ただ、私には見覚えのない着物だったので、母の姉である叔母に聞いてみると、祖母が大好きで、ここぞという大事な時に着ていた、その勝負着物だったに違いない…ということがわかりました。この頃、ふっとこの祖母のことを思うこともよくあり、宜保さんのお話に合うな…と思ったんですよね。


 私は祖母に守られているのかもしれません。祖母にとって最後の孫だった私は、外孫だったこともあり、祖母が身に着けていたものは持っていないけれど、どちらかと言えば言葉少なだった祖母に、手を合わせて話しかけることはできます。何かね、それを思うと、ちょっとうれしくなったんですよね。思いがけない本との出会いに、幸せな気分をもらった気がしました。宜保さんに感謝。そして、合掌!