『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

土壇場の本性

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朝テレビをつけたら、ワイドショーで某アイドルグループのメンバーが解雇になった…という話題をやってました。その番組には、そのグループのメンバーがレギュラーで出演してるために、彼はそれについての自分なりの意見を求められることになったのですが、その話に「おっ!」っと思いました。

彼は、解雇になったメンバーが、これまでにも会社から注意されることがたびたびあり、そのたびにメンバー同士で話して、注意してきたこと、そして、こういう結果になるのがわかっていて、どうしてプライベートを制御できなかったのかとそれを悔しく思う。更に解雇を伝えられただけでは納得できず、みんなで集まって話し合った…というようなことを話していました(もしかして、話し合った…と言うほうが先で、前の部分が感想だったかも。大体こんなとこだったということで、理解してくださいね)。

おっ!っと思ったのは、普段、誰かから話を振られると、はっきり言って申しわけないけど、ぼんやりしたことを答える、のんびりした青年だなぁと感じていた彼(人の好さを感じられて、嫌いじゃなかったです)が、今日の話では、とても明快、率直で、正直だったからです。

それどころか、話すことが商売のアナウンサーでさえ、おかしな助詞をつかうこの頃なのに(たとえば、「テレビが売っていました」とか。「テレビを!だろうが~~! テレビが何を売るってんだい‼ DVDでも売るってか~!」…と言葉が悪くなる)、彼のその話の中での助詞の使い方はとても見事だった。

使い方が正確だったと言うことだけじゃありません。その助詞の使い方で、一緒にやってきた仲間を失うことのさみしさや、ずっと話し合ってきながらこういうことになった無念さや怒り、その中での葛藤…そういうのがちゃんと感じられたんです。

あれ、準備してきた言葉どおりじゃないと思いますよ。こういうことを伝えなければとは思ってきたでしょう。でも、そういうのって、わかるんですよね。どっかにちゃんと尻尾が見える(聞こえる…か?)。まして、助詞までは隠せませんって、本音が…。

いや。あの子すんごいわ。賢い…。土壇場に追い込まれながら、その想いがちゃんとわかる話し方ができる…。あれ、なかなかできないですよ。もちろん、だから普段のパフォーマンスがどうこうという問題ではなく、こういう時に人としての本性…が見えるもんなんですね。

そう言って、やっぱり思い出すのは「あの子」のことです。

ずっと以前の話になってしまいましたが、そして、時として話の端にちょこっと使うことがありますが、さらに、わかる人しかわからない話ですが、あのニューオータニ事件(世に言う「事件」ではなく、大ごとだったという意味の「事件」)の時、自分の欲が過ぎたのだと謝罪して、そのすべてを自らだけに引き受けたあの姿…。

あれって、できないですよね、なかなか…。結構エラい人でも、人のせいにしたがることが多いです(昔、問題とされたことは、秘書がやったことと国会で言われたセンセイもいらっしゃいましたよね)。

何より、その事件で、そうなったことの原因はほかにありました…。でも、誰のせいにもしなかった。全部自分でしょい込んだ。それが彼です。

土壇場に追いやられた時、その人の本音が見えます。その人の…本性が見えます。