『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

美保神社奇譚ファイナル(そのヨン)

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お参りの後は、美保神社から近い美保関灯台近くのビュッフェに。窓の向かう席からは、日本海が見えます。少しかすみながらも遠く隠岐の島も見え、遠くから近づいてくる船をカメラでのぞき、ズームアップしてみると、こんな模様が見えました。ほんとに開放感がある席でした。
 
 
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その灯台近くには、古事記に出てくる国譲り(天の神であるアマテラスさんに、オオクニヌシさんが平定したこの地上を譲れと言われ、譲ったとされる)のゆかりの地があります。迫られたオオクニヌシさんは、どういうわけか、「自分の片腕である息子たちにそう言ってみてください」と言って、自分の意見を示さなかったんだそうです。
 
それを受けたアマテラスさんのお使いがコトシロヌシさんが釣りをしている美保関にやってきたとき、コトシロヌシさんが釣糸を垂れて座っていたという岩が臨める鳥居があるんですね。
 
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コトシロヌシさん、天からの申し出に対して、すんなり(?)オッケーしてしまいます。自分もあれこれ大変だっただろうに、どうしてあっさり許しましたかね…。到底抵抗しきれないと思ったか、それとも違う考えがあったのか…。どっちなんだろう…。まっ。何かのたとえ話なんでしょうけどね…。
 
さて、そこで、です。問題は、両参りをというのは、どういうことなのか…ってことです。今回は出雲大社には行ってませんが、これまでの経験と今回の美保神社でのことを合わせて考えてみると、私の考えは、こうです。すべてが逆!
 
その1でも書きましたが、鳥居を入って感じるのは、出雲大社の方は、強いけれど、大きなやさしい気がそうっと背中を押してくれる感じ。対して美保神社は、胸を締め付けるような強い力が前からドンとくる感じ。ねっ? 方向から力具合まで逆でしょ? で、拝殿の後ろの気配の方は、まったりと際限のないのんびりさに対して、もう一方は、栄養ドリンクのような元気さを与えてくれるところ…。
 
鳥居から拝殿前でいうと、出雲大社は女性的な穏やかさ、美保神社は荒々しいまでの男性っぽさがあって、周囲は、出雲大社の方が男性的で、美保神社の方は女性的な感じがする。ねっ? そういう意味でも、全部逆でしょ?
 
これってどういうこと?…と思って、ひらめいたマークがありました。陰陽道などで使う対極図です。
 
 
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これは陰と陽を表しています。能動的であったり活動的であったりするものを『陽』、その逆を『陰』という…とか言いますけど、男性的なるものと女性的なるもの。これも『陽』と『陰』ですよね。それが一つになって、この図になる。この図一つで宇宙を意味するとか、気学関係の本で読んだことがあるような…。それで初めて、すべてはちゃんと成り立つ。
 
 
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完璧な人なんていなくて、誰にでも、長所も短所もある。それも、陰陽ですよね。どんなにおかげを授けても、その二つがバランスよく整っていない限り、おかげは定着しないということかも。両方をお参りしないとおかげが半減するとかじゃなくて、お参りした本人のコンディションを整えるために、両参りせよって言われてたんじゃないかしら…。
 
それがほんとかどうかわからないのに、変に納得しました。すとんと腑に落ちました。もしかしたら、その「おかげ」ってやつは、自分のこれからにかかっているのかもしれません。だからこその、両参り。それが私の結論です。
 
そうそう。近くお参りしようと思っている出雲大社で、『なるべく早く新作祈願』もしておかなきゃね…って、結局最後はそれかい!