『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

美保神社奇譚(その3)

 
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さて、本題に戻ります。
 お参りをすませて、檜皮葺きってこうなってるのか~などと、拝殿のたたずまいなど拝見して、拝殿の裏の方に回りました。
 
山が近く、そう広くはないのですが、どういうわけか、際限ない広さがあるように感じます。それも、とにかくまったりとしている…。これは、どう表現すればいいだろう…と考えて思いついたのは、海でした。海に身を任せて浮かんでみたこと、ありませんか? あの感じです。海かい、プールじゃなくて…と思われるかもしれないけど、際限がない感じがする限りは海の感覚です。海に漂ってる感じだったんですよ、私には…。
 
以前、東京で宿泊していたホテルから近いところにある、東京大神宮に行ってみたときの話を記事にしたことがありますが、その東京大神宮は、神域全体が、天まで続く広い煙突というような感じで、透明な高い壁に囲まれているように感じました。ここにはそれはなくて、際限がない感じ。で、問題の両参りの出雲大社はといえば、拝殿の裏の方、ここにはオオクニヌシさんのご先祖であり、お舅さんでもあるスサノオさんのお社などがあるんですけど、ここは私にとっては、とにかく凛としていて元気になれるような、気持ちのいい空間なんです。はっきり言ってしまうと、拝殿のあたりより気持ちいい…(言ってしまった…ーー;)。でも、やっぱり際限はある感じ。とても広いけどある感じ。でも、ここにはそれはない…。
 
そうしてみると、ここはやっぱり海に深い関係がある場所なんだと改めて思いました。新しいパソコンのあれこれに時間も気持ちもとられていて、ほとんどここについて調べることもなく来てしまったけれど、大漁祈願の方や、海上の安全を祈願して来られる方が多いという話は目にしていたからです。大漁や海運の神様だからだそうだ、って…。それね、ちょっと違うと思う。…っていうか、私が勝手に思うだけなんだけど、それ以上というか、もっと広い意味での海の神様ですよ、きっと…。このあたりの海を守る神様かもね…。だから、際限なくひろ~い感じがしたんじゃないかな。まったりと…。
 
 でも、それだったら…なんて、ふっと思います。ここからそう遠くないところから、北○○に○○されたといわれる方がいらっしゃるんですよね。その方は、自分の人生を自分の足で生きることを奪われてしまった。なのに、神様はなぜそこから救ってくれなかったんだろう…。
 
 
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まっ、それはともかく、本殿のほうに戻り、強い日差しをしのぎながら、日陰でしばらくは拝殿を眺めます。涼しい風が吹き抜けて、気持ちのいい場所でした。辺りを眺めていると、そこに来られる人たちは、お参りをすまされたあと、それぞれに、拝殿を眺めたり、境内の写真を撮ったり、お守りを求めたりと、ゆっくりとした時間を過ごしてらっしゃいます。
 
社殿は立派なものですが、例えば出雲大社と比べると、やはり規模の小さなものです。そして、両参りの片割れだと知らなければ、この小さな港を守るためだけにある神社なのではないかと思われそうな場所にある。
 
それなのに、今ここにいる人たちは、いや。おそらく、これからここにやってくる人たちの多くもみな、こうしてここで時を過ごされるんでしよう。「お参りして、お守りをいただきに来ただけじゃないんだ」ってことでしょうか。それぞれが、のんびりと安らかな顔をしてらっしゃるのも同じ。確かにのんびりしたところではあるんだけど、それだけじゃない気がします。
 
気持ちいいの時間でしたが、いつまでもそうしているわけにもいきません。お昼も過ぎたし…と、友達と私はそこから立ち上がりました。
 
それにしても、鳥居を入って感じた、激しいまでの前からの気…。拝殿の周りをまわっての、まったりした際限のないかのようなまったりとした気…。前と後ろで別人のような神社だったなぁって思いながら、石段を下ります…。前が男性で後ろが女性って感じ…。前を仕切ってるのがコトシロヌシさんで、後ろ側がミホツヒメさんかしら…なんて思いながら…。
 
 
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(そのヨンに続く)