午前中に歯医者さんに行った日の午後、用事のついでに美容室に行きました。
そこは友達から「行ってみたら?」と教えられて行った美容室で、「初めてのお客様にサービスで」と、『オゾントリートメント』なるものをしてもらうことになったのですが…。
オゾントリートメントというのが初体験の私、それが頭皮と髪の毛に残ったアルカリを取り除く働きがあるとか言われていることも知らないままに、オゾンの溶け込んだ水に頭を浸し、水を頭にかけてもらいながらしばしの時を過ごします。
-あ~。プールと一緒!
ふっと思いました。
実は私、小学校の頃プールが大好きで、先生の目をごまかしては(とその頃は思っていた)、下校時刻の過ぎたプールによく友達と浮かんでいたのです。その時と同じような音が耳の中に響き、その時と同じ気持ちよさが心を満たしていきました。
その気持ちよさに身をゆだねていたら、直接はそのことに関係ないことに、はたと気がついたんです。
ここを読んでくだっさっている方の中には、「そういえば、そんなことを書いていたな~」と思っていただける方もあると思うのですが、「その人の心とその人の部屋の状態は同じらしい」。そのことを突然思い出したんですね。
そして思ったのは、「心のありようと部屋ばかりじゃなく、外見も同じなのかもしれない」ということ…。心の「し残し」をたくさん持っている人は、部屋にも「悪い意味でのとっておき」があるし、外見だってそうなんじゃない?って…。いや。その人をめぐる全部がかも…。
たとえば髪ひとつとっても、いくら「こんな風にしたい!」って髪型がなかったからといって、がんばって打ち込んでいる仕事があったからといって、前髪以外は伸ばし放題で、ばしっ!と後ろで束ねただけの髪がすてきなわけはない。決まった髪形がなくても、「かわいくして」、「見栄えよくして」の一言が、言えないわけでもないのに、結局私はそれをし残してただけなんじゃないの? そう思ったんですよね。
その帰りに、いつものように本屋さんで目が合って買った本に、「いつかやろう」「いつか使おう」と思ってとっておいているものは、だんだんと積み重なって、前に進む足を鈍らせるだけ…というような記述に出会って、よけいにその想いを強くしたんです。
確かにそうかもしれません。「いつか」と思いながらし残しているものは、全部とは言わないけど、それを見るたびに、そこにあるってことが心をネガティブにさせます。だったら、それは目の前から消してしまったほうが、心は軽く自由になるんじゃないかしら。そう思ったらGO!です。
私はこれまでやったことのない規模の選別に入りました。基準は、古い新しいではなくて、「それを見て、幸せだったり気持ちがあったかくなったりするかどうか」。そうでないものは、とにかく排除していったんです(まだ完全ではありません。自分だけの気持ちで処理できるものばかりではないし、時間を置いてまたやることになるかも)。
それは「もったいない精神」からすると、だめだめな行動かもしれないけど、今の私には必要なことに思えました。それは単に私の目の前から消すということで、使えるものは、もらっていただけるところを探せばいいわけですし…。
それから1週間。なんと風通しがよくなったことか…。もちろん「目の前の風景」はそうですが、「心の風景」もです。今本当にやりたいこと、今いちばん大切にしたいこと…。それがまっすぐ見えてきました。こうしてみると、「これをやらなければ」とか、「これをやってから…」とか言って、私は自分で次々とハードルを並べていたのかもしれません。
あなたはどうですか? ハードルを並べてないですか?