「いつか」はいつ来るの?

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uraniwanisaiteruhana

 ずっと前からhikariブログを読んで下さっている方は、憶えてらっしゃるかもしれないけれど、私は、5年ほど前から、「ぬるま湯洗顔」をやって来ました。それけではなく、お化粧するときは、お湯で落ちるパウダーファンデーションを使い、ボディシャンプーはやめて無添加の固形せっけんを使い、シャンプーもよけいな成分の入らない石鹸シャンプーを使っても来ました。

 それは今も続行中なんだけど、最近ふっと思うことがあったんです。それは、これでいいのかしら?ということ。

 地震、豪雨などの自然災害、新しい病疫、私たちは、そんな中にさらされていますよね。事故なども考えられる。なのに、私はずっと今の状況が続いていく的なことを思っている。そんなことを思ったんですね。

 だからこその、この無添加生活。これを続けていくことで、肌がよみがえる…というか、健康に保たれる…らしいから。それ以外にも、「いつか、これがまた着られる時が来るかもしれないから」と、今は着なくなった洋服を置いておいたりもする。「いつか」のために備えていることはもっとあります。

 でも、その「さらされている危機」の中で、その「いつか」はとても危うい。もしかしてもしかしたら、「いつか」のために備えている事々は、ぜ~んぶ無駄になるかもしれないし、「いつか」はほんとに来るのかしら。もしかしたら、来ないかも。だったら、それってどう?

 「いつか」のために今を犠牲にしてるのかもしれないな。私が感じたのはこれでした。

 たとえば、「ぬるま湯」に付随することで、時にはいい香りのする石鹸やボディシャンプーなんかを使ってみたいと思ったりすることもある。それでも、やっぱり…と無添加生活を貫いてきたけれど、それって、ほんとに私のためになっているんだろうか…と思ったんですね。無理してないかいって…。

 今をよりよく生きるためには、今やりたいことができるならすぐすること。たとえば、↑に書いたようなことは、買ってくれば今すぐにもできることです。そうすることで、今日が幸せな気持ちで終われるのなら、それに勝るものはないんじゃないかしら。「ああ。いい一日だったな」と思えることを一つでもやって毎日を終われたら、「いつか」なんで待たないかもしれない。

 時には逸れる。逸れたければ逸れる。それがいちばん良いとされていなくてもいい。言ってみれば、「気持ちよくなるためのいい加減」を目指そう。そんなことを思ったのでした。「ぬるま湯」洗顔は楽チンなので、続けていきますけどね。そう。いい加減です。