『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

この頃気づかされていること

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 これまで何回か、大掃除のことを書いています。部屋の有様と心の有様は同じ…という言葉を読んで、これまで何回か相当な大掃除…というか、相当数のいらないものを処分してきたとお話してきました。

 そういう中で気づいたことが…。最初に言ってしまうと、確かにその通りだな~てことです。例えぱっと見には片付いているように見えていても、部屋の奥にと~んでもなく古い過去の栄光(ーー;)とか、「いつかは着られるだろう」とか、「そのうち見るだろう」とかいうものや、仕事のためとは言いながら、机の上に、書類や本が無造作に(ここポイント!)に積んだままになっている状態でほっぽっているときって、心の状態がいいときじゃないな~って思ったんです。

 何かを言い訳にして、何かを後回しにしている。それに他ならない…。

 そうしているうちに、時は過ぎる。さらに、「あとで」が増える。で、あせるわけさ…。まずい。こんなはずじゃなかったって…。で、あとでやろう…とか、いつかは…系統のものが、気づかぬうちにてんこ盛りになってるという有様…。それを繰り返してきてたんだな~と、深いため息…。DVDなんかでも同じ。いつかは見るだろう…って思って録画したものの、そのままになっているものが、どれだけたまってるか…。ほんとに見る気なら、すぐそこにスタンバイできるんだから、すぐに見るだろう…。それをしないということは…。

 「そう。ぜったい見ないね」友達は言いました。その上に、「そんなことに、今まで気づかなかったの? あんた…」と、付け加えやがりました…ーー;。

 ええ、ええ。気づきませんでしたとも。たーんとありますがな…と言うわけで、自分が再び見るだろうものと、そうじゃなさそうなものを徹底的にわけてかなり処分してみると、DVDの棚がすっきり…(そうなってみると、どなたかの名前が、そして姿がえらく目立つこと…^^;)。

 DVDは、RWとかRMのものは再利用ができるでしょ? 絶対録っておいときたいものはブルーレイで残すわけだから、そこそこ見たいものはいくつかあったそれに録画を繰り返せば、当分買わなくていいということ。そして、資料にと置いていた新聞や雑誌のなんかも、ファイルを用意して、これ一冊に全部入れると決め、いっぱいになったら、これはもういいやってのを処分していく。そうすると、机の上もすっきり!

 そうなると、やらなくてはと思うことを、優先してできる…というより、当然それをするようになるんですね~。そうして思ったんです。なるほどな~って。それができなくなってるとしたら、心が少し疲れてるのかも、って…。

 変な話ですけど、そんな繰り返しをしてると、「何であの人は…」的に感じてたり、周囲で言われてたりする人のことも、「あの人もそれなりに大変なんだよね、きっと…。その立場になってみると、わかる気もするな~」と思えてきたり…。ただ、不用意にそんなことを口にすると、「何であんな人をよく言うんだ」みたいに、怖い目で見られたりすることもあるんだけど、だってそう感じるんだもん…。恐るべし。大掃除…。

 それでも、やはりうっかりするとできている「あとで」。となると、また掃除だわね。でも、何回か大掃除をこなしていると、それも時間が短くなってくるんですよね。そうなると、やりはじめるのにも「覚悟」がいらなくなるんです。当たり前のことだけど…。

 そんな話のついでに、私ふとさっきの友達に聞きました。「で、お宅は?」。「知ってるでしょ。あるよ、山のように…。わかってるってのと、やるっていうのは別物なのよ」。やれって。やってみろってば! やってみると、案外面白いから…。




 画像は、今日中途半端に空いた時間にやり終えたし残し。父がなくなってから肥料もやってななったのに、少し残した家庭菜園で、ちゃ~んとできていた金柑。少し青いのもあったけど、甘露煮にしてやりました…^^v。