同じことを言っていたんだ!

 


イメージ 1


 この前の記事に続けて賣沼神社の記事を書こうと思っていたんですが、たまたま巡り合った本に思いがけないことが書いてあったので、その想いが熱いうちに、こちらを先に記事にすることにしました。
 
 あのね、同じことを言ってたんです!…っていきなり言っても、何を言ってるんだかわからないと思うんだけど、以前からここをのぞいてくださっている方の中には、私が何度も、「本屋さんでいちばん最初に目が合った本は、その本に興味がなくても買うようにしている。読んでみると、その中には自分にとって興味深いことが書かれれるみたいだから」っていうようなことで記事していたことがあるのを覚えてらっしゃる方があるんじゃないでしょうか。いや。忘れちゃってらっしゃるかな。それならそれで、いいんです。いや。開き直りじゃなくて、素直にそう言ってるんです。ほんとに、それでいいらしいですよ。とにかく、まったく眼中にないようなジャンルの本でも、目についた本には、自分にとって興味深いことがかかれているっていうのは、ごく当たり前のことだったんですよ!
 
 さて、まずあなたに質問です。たとえば、何かの本を読んでいる途中なのに、急に別の本を読みたくなったりしたことってないですか? 欲しくて欲しくて買った本なのに、ある所から急に興味を失ったりしたことは? 私にはね、そういうことが時々あるんです。で、そういうことに出会うと、ちょっと自己嫌悪に襲われたりしていたんですよね。「何て根気のない奴なんだろう」って…。でもね、「そんなことはないんだよ」ってことを書いた本に出会ったんです。
 
 何故突然興味がなくなったか…。それは、自分に必要なところを読み終わったからだって、その本はいうんですね(もしかしたら、必要だったのはその中のたった一行だけだったかもしれない…)。後はいらないから、読む必要がないから、読みたくなくなった。ただそれだけのことだ、と…。
 
たとえば私のように、「最後まで読んでないのに」とか、「何て根気のない奴なんだろう」とかいうのは、観念で思っていること。ほんとの想いは、「これ以上は読みたくなくなっている」ということだから、ただ、読むのをやめればいい。…というか、むしろ無理して読まない方がいい。そんな想いで読んだって、いいことは何もない。いやいや読んでいるのと同じような想いをする出来事が、そのまま現実となって表れるだけだから、というんです(「思うことは現実になる」って、言葉がありますもんね)。
 
 「途中から読みたくなくなる」のと同じように、本を読んで大事だと思うことを書きとめたりして覚えておこうとしたのに、それさえ「忘れてしまう」ということもあるでしょ? それもOKなんだって…。必要なことは、ちゃんと「懐」に入っているから。忘れていると思っていることでも、本当に必要な時には、ちゃんと思いだせる。そういう風になっている。本当に忘れているなら、それでもいい。もう必要がないから忘れているんだから、って…。
 
 出会った本も、出会っている出来事も、すべては意味があって起きている。途中読みの本だって、忘れてしまった言葉だって、出会う必要があった…ということ。それはいつか必ず、「何か」につながる(たとえば、もちろん「あの子」のこともそうです)。だから、心やすく、したいことを楽しめばいい―。
 
実は、ついこの間も記事にした、「乱読のセレンディピティ」という本に書かれていたことも、同じことを言ってたんですね。ほら。「読み飛ばしたって、心に響くところは消えたりしない」って…。
 
途中から読む気が失せた本や、最後まで読んだとしても読み飛ばしたところは、必要ない所だったから自然と飛ばしている…ということ。理屈じゃなくてね。人の心は、本人は意識していないつもりでも、自分に必要な想いや言葉や出来事をちゃんとキャッチして、その懐に抱き込むようにできているってことを、きっとわかったうえでそう言ってらしたんだなって、ぽ~んと腑の一番深いところに落ちました。そうか。そうだったんだ…って…。あ~。なんか、すっとしました。
 
もしかしたら、私たちみんな、すごい生き物なのかもしれないですよ…。いや。それが普通なのかな。いつの間にか、忘れてしまってただけで…。いや。忘れててもいいんでしたね。必要な時には思いだせるんだから。これも、そう。買うつもりじゃなかったのに、目についた本で知ったことです。