『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

イ、イエス~?!

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 今日しばらくの旅のことを話そうかなと思っていたところ、不意の来客がありました。確か見たことがある人…とは思ったのですが、誰だったっけ…^^;。

 「あの、先日うかがったものです…」と相手の方。30代かな~という感じのその女性は、1週間ほど前に来られたキリスト教の布教(?)の人でした。「あの時のお話が心に残って、もう一度ちゃんとお話をうかがってみたくて…」。えっ? 何話しましたっけ???

 その時の訪問は、忙しいときでした。そこに、「天変地異や国々の混乱、人の心の荒廃を思ったことがあるか?」、というようなことを聞かれたそうで、そこまで言われて、「ああ、あれか…」と思い当たりました。

 ええ、ええ。確かに思うことを言いましたとも。とにかく急いでいたので、直接そのお話には乗らず、「キリスト教へのお誘いだとは思うけれど、自分なりに何とか折り合いをつけますからけっこうです…」と言うようなことを…。

 「自分で折り合いをつけるとおっしゃったのは、何か信じることがおありなのかと思って…」
「いや…。信じることも何も…」

 特に突っ込んでキリスト教についてお話しするつもりはない私は、「天下国家、天変地異に心を配るのも大切だと思うし、心配してないと言えば嘘になる。でも、私がそれを憂いて現実がどう変わるかしら?と思うのだ」と話しました。

「私だって、心の向きが一定なわけではないですよ。揺れることもあるし、思わぬことがあれば動揺するし、対処できずに誰かに相談することもあるし、落ち込んだり、傷ついたりすることもある」
「わかります」
「だから、常にそれができるわけじゃないけど、たとえば、うちに来てくれた宅急便のお兄さんでもいい。一日に一人でいいから、出会った誰かににっこりほほえんで、ありがとうという気持ちを伝えて、その人が少しでもいい気持ちになって、今度は誰かにほほえんでくれて、今度はその人がそんな気持ちになってくれたら…」
「ああ…」
「失礼な言い方になるかもしれないけど、宗教に頼るより、それが私の出来ることじゃないかって思うんですよね。それが、私の言った、自分なりに折り合いをつけるってことなんです。改めてお話しするような、変わったことでもなんでもないんですよ」

 「だから、何度も来られることもないですよ~」と続けるつもりでした。ところが、ちょっと変だったのです。その人の目が、途中からきらきらしだして…。

 「あの…。何か特定の宗教をお持ちですか? その考えはそういう…」
「いえいえ。うちは曹洞宗ですけど、それに心酔してるとかいうわけでもないし、ごくごく普通…っていうか、特に信仰を持っているわけじゃないですから…」
「それじゃ、ご自分でそのお考えを?」
「はっ? はぁ…」。途端に、その人の目がピカっ!

 「あなた素晴らしいです。ご自分でそんなことを? これ見てください」

 その人はすばやく手提げから聖書を取り出しました。読み込んでらっしゃるのでしょう。しっかり年季の入った聖書のページをさっと見つけ、「ここを読んでください! あなたの今おっしゃったとおりのことが書いてあるんです! あなたはイエスと同じ考えでいらっしゃる。何に頼ることもなく、イエスの考えに達しておられる。あなた、素晴らしいです!!」

 イ、イエス~?!…@@;。

「あの…。だから、私はただ…。それってすごく小さな、ご普通の…。たいしたことを考えてるわけでもないっていうことが言いたかっただけで…」
「私、うれしいです。何ていい日なんでしょう。こんな幸せな気持ちになれたのはどれくらいブリか…。このあたりに来ましたら、また寄らせていただきます~! ありがとうございます。ほんとに…。ありがとうございます~」

 それからの私の言葉を聴く耳を持たないその人は、深々と頭を下げて嬉しそうに玄関を出て行ってしまったのでした。

 あのね~。私イエスじゃないですから~(T.T)。

 
(画像は、やっと色づき始めた裏庭…っていっても猫の額の裏庭ですけどね…の、たぶんそう誰にも見られることのないだろう紅葉…^^;)