『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

4月12日〜パンの日によせて〜

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pannohi



 一週間ほど遅くなりましたけど、4月12日は、(日本では)『パンの日』だったそうです。さて、何故この日が『パンの日』となったのか―。

 古代メソポタミアで、ただ小麦粉を水でこねて焼いただけのパンから始まって、そのあと、古代エジプトへ、そして世界へと広がっていったパン作りは、日本では、戦国時代に鉄砲とともに伝来したそうですが、皆さまご存知「キリスト教禁止令」によって、長崎の出島で外国人の人の食べ物として作られるだけに。ところが1842年、伊豆韮山のお代官様で軍学者でもあった、江川太郎左衛門という人が、(出島以外で)日本で初めて本格的にパンの製造をしたのがこの日だったからなんだそうです。

 この人の師にあたる方の従者に、長崎のオランダ屋敷で調理方として働き、製パンの技術を覚えた人がいて、この人を江川さんのお宅に呼びよせて教えを乞い、パン焼窯を作りパンを作ったということらしいんですが、その江川さんはどういうわけでパンを作ってみようと思ったのか…。

 私は、そういう趣味人だったのかなと思ったんだけどさにあらず。戦争のためだったんですね。1840年当時海の向こうで起こった『アヘン戦争』。その惨状を知り、西洋の軍隊がこちらへも責め込んでくるに違いないと戦いを覚悟する幕府は、そしてこの江川さんに、兵士たちの兵糧米ならぬ、兵糧パンを持たせるための試作(?)をせよと命じたということだったよう。

 兵糧食には干し飯(ほしいい)というのがあって、お米ですからこれを炊いたり、そのまま食べたりしたとどっかで読んだ記憶がありました。お米を炊くためにはそれ相当ののろしのような煙が上がる。それはこちらの居場所を敵に教えるようなものなので、そういうことのないように、パンを兵糧(非常食)につかおうとした…ということだったよう。

 幸い、その戦争はこちらには渡らず、パンは平和のもとで進化。明治には日本独自の「アンパン」がつくられるまでになって、日本の日常食となって広がっていったんですよね。

 今のウイルスの騒動の中で、それを乗り越えるためにやむを得ず生まれたものがあるとすれば、ずっと時がたって、日本独自の「良いもの」となって根付いてくれればいい。日本にはそういう知恵があるんだから。『パンの日』のあれこれを見ていて、ふとそんなことを思いました。