『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

何でこの時期に…な、Xmasのお話

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 実はXmasの時期に記事にしようと思っていたお話なんですが、タイミングが悪くてその時期に記事にすることができすにしまいました。今年のXmasの時期にはきっと忘れてしまうだろうと思うので、まだ忘れずにいる今、記事にしとくことにしました。

旧暦のXmasの行事っていつやったんだろう?

 私ね、変なことにが気にかかるやつだなぁと我ながら思うんだけど、Xmasの時期になるといっつも思うことがあったんです。旧暦を使っていた頃の日本でのXmasの行事はいつ行われたんだろうってこと。ま、いつ頃Xmasの行事をやるようになったのかさえ知らないままで思っていたんだけど。

 同じ日にちだと、陰暦ではひと月くらい開きがあるじゃないですか。たとえば、立秋なんてまだまだ暑くて秋だなんて思えないし、わらべ歌にでてくる四季の感覚もそう。そういう差異はあるんだけど、単純にいつやってたんだろうな…ってそのことをずっと思ってたんですよね。

 まず、一体いつ頃Xmasの風習は日本に入って来たんだろうということから調べてみました。私の見た中では、400年くらい前と漠然とした感じで書いてあったんだけど、文書で残っているのとしては、(キリスト教の)イエスズ会のフロイスさんという方が、「織田信長と松永久秀が、Xmasの一時休戦をした」と書いているのが残っているそうな。

 昭和の太平洋戦争時でもそんなのがなかった日本で(当たり前か)、信長がクリスマスに休戦していたというのは驚きだったけど、はっきりした日にちだてのことについては書かれていなかったんですね。

 そのあと、キリスト教の禁止令がでるわけですから、そのあたりからその行事が広がるわけはない。さらに江戸時代も、海外との交流は長崎の出島あたり(実は、他にも拠点はあったようだけど)でないとできなかった。となると、Xmasの行事は途切れるのかと思ったら、出島にいる外人さんたちは、「冬至の時期が太陽暦の12月20日頃に当たるため、この日のあたりにXmasの行事をしたようだ」…と書かれていたんですよね。で、「そうか。(出島ではという限定でだけど)冬至を目安にしたんだな」と、問題がいきなり解決…というわけだったんです。

では、いつから日本式のあれこれが盛んになっていったのか

 読んでいたのが、日本式Xmas(!)の歴史…的なものだったんで、そのまま読んでいくと、明治も少したつと、キリスト教を信仰する人たちは、家で「本来の形」にのっとったことをするようになったとされていました。さらに、大正時代には、青少年向けの雑誌にも、西洋の風習のひとつとして載せられているよう。

 それどころか、何とそれ以前に、銀座の明治屋でディプレイとしてクリスマスツリーが飾られていたり(明治37年)、不二家が、豪華なクリスマスケーキを作っていたり(明治43年)…。その頃が始まりだったんですねぇ。あこがれの西洋カルチャーって感じだったんでしょうか。

 面白かったのは、大正8年に帝国ホテルで最初のXmasパーティが行われたという記述。面白いと思ったのは、そのこと自体ではなく、そのパーティでのもようしものが、「太神楽」・「カッポレ」・「心中もののお芝居」…って、およそ私たちのXmasのイメージとは違うものだったということ。ちょっと想像してみると、これは単なる宴会ではないかと…。まっ、それはそれとして、その頃から段々「お外」でXmasを楽しむようになっていったということなんでしょうかね。

 さらに大衆になじむ形になっていったのは昭和の初めごろ。そして戦争を挟んで、ケーキを買って我が家に帰り、家族で食卓を囲むという形に。そのあとは、ご存知ですよね?

 そうしてみると、日本式のXmasというのには100年以上の歴史があるってことになります。本来のXmasのすごし方とは違うなどという人もあるけれど、100年たてばジャパニーズカルチャーだと思えばそれでいいんじゃないかなぁなんて思ったりします。

 まっ、史実として残されているもの以外のことは、諸説あり…なのかもしれませんが。