ジグソーパズルをやっている。
通算だと、ほったらかし期間(何回かあったけど、合わせて半年くらい)を含め、何と1年以上になる。
こんなにかかっているのは、やたらグリーンの色あいが多くてややこしいからか、1000ピースがわたしの手に余ったからか。いやいや。単にどんくさいから…なのかもしれない。
そのジグソーパズルは何と、一部だけ、全部を合わせて、5回くらいひっくり返している。そのなかには、完成間近だった時もあった(涙)。
何せ大きさがあるのでそのまま広げておくわけにはいかず、邪魔にならない場所に運んでいるときに、バランスを崩して何度もやらかした…というわけ。
色々やらかした挙げ句に、今時泊まりのお客様などないんだから、客間の座卓の上に置いたままにしておいて、そこでやればいいんだと気がついたのはこの夏のこと(遅っ!)。
それからは途切れ途切れにだけど真面目(?)に、さらなる一部崩し事件(事件か?)などありつつも、今数えてみたら、残りのピースは100枚を切っていた。
祝いじゃ祝いじゃ〜♪(まだ早い。またやらかすかもしれん)。
ジグソーパズルの、「その場所」に合うピースはひとつしかない。これかなと取り上げたピースが、「そこ」にいとも簡単に、ぴったりと嵌まるときに感じる嬉しさは、全体が完成したときに感じる嬉しさとはまた違う。何と言えばいいんだろう。スッキリする「瞬間の喜び(刹那の…というほどでもない)」と言えるような嬉しさが。
別の瞬間の喜びもある。それは、腑に落ちない瞬間の喜び。
それは、やってる間にいつからか作ってしまった、「このあたりに『その場所』があるはず」という、ピースの色や模様からくる思い込みでさんざん探しまくったのに見つからず、全然別のところにヤケクソで置いてみたら、それが見事に「その場所」だった…とかいう場合。
これには、思ったような所で見つけたのとは違う、「ここかぁ(呆然)」という、意外な喜びが加わる。
探しても見つからないこともある「その場所」にピースが収まる瞬間って、時にあまりに簡単で、「その場所」は、予想外なところにある場合もあるって、面白いね。
これは、人が生きる道についても多分同じだよねと、パズルをしながら思う。
だったら、どんな風に生きればいい? どうやったら、「その場所」にすっきり収まる?
「そんなよけいなことを考えるより…。人生は短い。さっさと仕上げて、別のこと楽しみなよ」と、目の前のスナフキンに言われた気がした。