『光と風の間(はざま)で』総本家

総本家なんで、あれこれあります

ヤフーブログからの移行が遅れたわけ

 ヤフーブログからの移行が遅れたのは、右腕のけが(捻挫と打撲)が原因だったとご挨拶に書きました。じゃ、一体何をやらかして(そう。やらかして…なんですが)、そんなことになったのか…。

 それは、ひと月以上前のこと。ある夜、ベッドに横になったら、一度もトイレに行かないというのがほとんどの私なのに、行ったこともないような時間(夜明け前)に行きたくなって目覚めたんです。

 で、ごぞっと起きだしてトイレに行ったのはいいんだけど、いつも寝ているのが当たり前の時間だったからか、実は半分寝ていた…という感じだったんですね。目覚めきってはいなかった。

 それでも自分の家なので、その動線も身をもって知ってる。つまり、目をつむっても行けないわけでもない…はずでした。ところがその日に限って、母が親類に送るために農家さんに持って来ていただいていた梨の化粧箱が、その動線の一か所に置かれているというのが記憶から抜け落ちていたんです。

 その箱につまずいて体勢が崩れ、そのままよろっと床に崩れるように倒れ…る一瞬前に目覚めた…というか、その時目の前に迫っている消火器に気がついたんです。自動車とぶつかったりすると気って、目の前の出来事がすスローモーションに見える都言うじゃないですか。そんな感じで、消火器がゆっくりと近づいてくるのが見えたんです。

 このままでは顔が消火器ぶつかると思った瞬間、とっさにその消火器を右手で跳ねのけていたんですね。つまりは、消火器をはねのけるために捻り、そこから先に床についた腕の上に、私の全体重が乗っかったというわけです(今考えても怖い)。

 いや。経験したことのない痛みでした。起き上がることもできず、しばらくそのままそこに転がっていたんだけど、何せ人一人が転がる大きな音がしたわけですから、そこから近い部屋で寝ている母も起きだしてきました。

 そこまでのことだと思っていなかった母は、痛がる私を心配するでもなく、「子供じゃあるまいし、朝っぱらから何やってんの!」とあれこれいうありさま。そのうちに、これはちょっとまずいぞと思ったのか、「救急車呼ぶ?」とか言い始めたんですが、「この早朝に救急車なんて…」と口にする余裕もなく、ただ首を振ってそれに応えたんですね。

 ヤフーブログを始めた最初の頃、「今の仕事をする前に、病院で受付をしていた」とお話したことがあったんですが、その経験から指や腕を少し動かしてみたりして、筋や骨は問題なさそうだし、外傷もないから、結局はこの症状なら、お薬とシップで、全快を待つしかない(日にち薬というヤツ)んだろうなと思ったこともありました。急いでも状況は同じだと(結局正解でした)。

 でも、その時よりも、その後の方が大変でした。内出血した腕は自分で見るのが怖いような感じになるし、寝るも起きるも全身の力が必要。

 たまたま畳に座ってしまった時には、そこに座卓があるのに、立ち上がろうとしても右手に力を入れられないだけで立ち上がれず、母に座布団をいくつも重ねてもらって段々と体勢を上げていく…なんて方法で立ち上がったり、腕をだらんと下すこともできないから、歩く時はしばらくの間、妖怪の「ねずみ男」のように、背を丸め両手を抱えるような感じで歩いていたんですよね。キーボードも叩けない(これも痛かった)。

 おまけに、いつも自分が着ている洋服では自由に脱ぎ着ができないものだから、母のゆったりした前開きのブラウスとウエストゴムのパンツを借りて、そのお世話になっていたんです。

さらに、けがに対する対処が目いっぱいで、集中力は続かず、思考力もない。食欲もなく、ほんと、どうしようもない状態がしばらく続いたんですよね(おかげで、体重3キロ以上減)。

 それでも、内出血が消えていき、段々と可動域も広がってくると、いろんなことに気がついていきます。右腕に関係ないと思える動作でも、どれほど右手の力を使っているか…とかね。

 体を痛め、一生それと付き合っていかなければならない人の大変さや、当たり前だと思っていたことがどれだけありがたいことだったのか…なんてことも感じたし。長い時間がかかったけど、いい勉強をしました。

 今では普通やることは大体出来るようにはなったんだけど、実はまだ高いところまでは腕が上がらないんです。世にいう「五十肩」っていうのはこんな感じかも。

それでも、少しずつ楽に上げられる位置が上がってきているので、腕が普通に上げられるときも近いみたい。気持ちも楽になってきて、やっと移行に手が出せたという感じなんです。

 ところが今になって、「よく骨が折れなかったね~」なんて話が…。「その状況で転倒したら、普通は折れることがほとんどなんだけどね」。

 そう言えば、おかしなことがあったんです。私が振り向くこともできなかった一週間の間に、その日の前に水を換え、青々としていた神棚の両端に置いた榊が、両側とも完全に枯れ果てていたんですね。あんなの、私の人生で見たのは初めてのことです。

右側のは神様のお休み処。左側はご先祖様の…と聞いたことがあったけど、神様から先祖まで揃って守って下さったということなのかなぁ、これですんだということは…。

うちのご先祖、「神様、お世話をおかけして申し訳ありません。うちのバカがやらかしまして…』とかって恐縮してたんじゃないかなぁ。





※写真に迷い、書き方に迷い…。とりあえず、これで公開して、ここでの編集の勉強をしてみます。