兄をもたないわたしが、兄のように慕っていた従兄が、急に亡くなった。家族と話していて、突然意識を失っての事だそうだ。
実は、これまで形跡もなかったガンが突然見つかり、差し迫った状態ではないということで通いで抗がん剤治療をしていると聞いたのはつい先日。彼の母である叔母が亡くなったときだった(つまり母の実家では、あれよあれよという間に、元気だったはずの2人の葬儀を出すことになった)。
某有名製造メーカーで働きながらもそれに飽きたらず、自分に足りない知識を得るために勉強に勉強を重ね、人脈を作りながら起業して成功した人らしく、西洋医学だけに頼らず、高額な漢方薬を飲みながら、さらに有効な療法を探していると言っていた。
わたしには、今だからこそ(?)話題になっている「ドリンク」に心当たりがあり、その事について調べてみてほしいと話した(実は、それを彼がかけらも知らなかったことが、私には不思議だったんだけど)。
へたすると親子ほども歳の違う、知識も人生経験も雲泥の差の彼だ。十分大人になった今も子供だと思われているわたしがあれこれ言うより、自分で調べて選択して欲しかったのだ。
案の定、「あのhikariがこんなことを教えてくれて、色々調べてみてこれならと思い、始めてみることにしたよ」と、知り合いに嬉しそうに話していた矢先だったらしい。
ガンの発症の前にあったことを思うと、さらに言えること、できることもあった。この事をもっと早く知っていればと残念な想いはあるけれど、それはもうしかたない。本当の事はわからない。何より、彼はもう「いない」のだから。
わたしが、子供の頃から洋楽にたくさん触れていたのも、幅広い音楽に偏見がないのも、趣味でベースをやっていた彼(&その妹)の影響だった。
わたしに必要だろうと、たくさんの話をしてくれたのも彼だった。何年も会わなくても話さなくても、その彼が元気で、らしく活動しているというのが頑張る力になってもいた。「変わったやつ」なわたしにとって、従兄弟(従姉妹)のなかで、いちばん話が合った人。その人はもういない。
ふっと、遠い昔「俺のお古だけど、お前に役に立つ本だから読め」と、突然送られてきた本のことを思い出した。何冊かあったのだけれど、その中で特に気に入って、何回も読んだ本。
ところが、どういうわけか探してみても、その本がない。少し茶色くなってきていた本がない。大事に置いてたはずなのに。置いていたはずの場所どころか、本棚のどこにも…ない。
しかたなく、別の買い物と一緒に通信販売で注文した。それを開かずとも、従兄の物でなくても、そこにあることが力になる。そんな気がして。
色々力をくれたのに、 わたしはまだ道の途中にいるよ。あきらめちゃいないけど、悪いね、亀で。でも何か、今度の事がいちばん力になった気がするの。いなくなったのに、こう言うのはおかしいけどね。
やれることを、楽しむよ。やりきるよ。回りを気にしないでね。今なら、できる気がする。
幾重にも、幾重にも、幾重にもありがとね。あなたを尊敬してました。女性関係以外は…。