咳をしても…ひとり

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 今日は、暑いくらいの一日でした。なのに、ちょっと喉に来ていて時々咳がでるので、今日はやるつもりだったガーデンテーブルと椅子の塗り直しをやめました。ここ数日、寝室の夜中の室温が13℃って日もあったからなぁと思ったんですが、突然ふっと思いだした句がありました。


                 咳をしても ひとり


 鳥取出身の俳人、尾崎放哉の句です。結構波乱の人生を歩んだ人だったようですね(ありがち?)。

 今は故人となった、某出版社で編集者をしていた父の従兄に、「放哉は鳥取の俳人。聞かれることもあるかと思うから、放哉の句くらいは、ちゃんと覚えておくように」と言われたのは、どれくらい前のことだったでしょう。その時はどうもその気にならなくてそのままほったらかしていて、放哉のことを聞かれることもなくここまできてしまいましたが、そんな私でも覚えている句。それが、「咳をしても ひとり」です。

 波乱の人生を選んだ放哉は、妻とも別れ、ひとり身でした。風邪をひいても(放哉には胸の病気があったそうなので、そちらの方の咳だったかもしれませんが)、「大丈夫?」とか、「薬を飲んだら?」とか、「少し寝たほうがいいんじゃない?」とか気遣ってくれる人はいない。それどころか、泣いても笑っても、愚痴っても…ひとり。彼は、自分の人生をそう生きてきた。それを思って自嘲的に笑ったのでしょうか。

 ふっと、切なさが胸をかけぬけました。放哉のその句が、初めて心の奥にしみた瞬間でした。どう表せばいいんだろう。この切なさ、さみしさを…などと思っていたら、近くでチョコのポッキーをかじっていた母がつぶやくように言いました。

 「季語は何?」

 「…季語? ああ、咳じゃない? たぶん。冬の季語だと思うよ」と答えた私に、更に母は聞きます。

 「でも、風邪をひくのは冬だけじゃないでしょう」

 「そりゃそうだけど、まっ、季語だからねぇ。そうじゃないと、季語がないタイプの句ということになるよね。それもありだけど…」

 「季語があった方がいいよね~。すっきりする。あっ。すっきりしないから、なんか飲み物買ってきて。炭酸系がいいわ」

 もしかして…、さっきの「季語は何?」は、枕詞か?